私のブログを立ち上げるきっかけとなったはみ唐さんのブログの10月7日のエントリー「空手 「正拳は引き手で突く」の意味 」( http://ameblo.jp/hamikara/entry-12207427187.html?frm_id=v.mypage-commented-article--article--blog--2--hamikara )に引手に関して思うところをコメントしました。

その時のコメントは「両拳から伸びた糸がその滑車で繋がっている。片方の拳を引くと片方の拳が引かれて前に出る」と言う説明を受けて以下のようなものでした。


”(私の場合は滑車が)肩に支点があり、下(腰方向)と前方(突く方向)に動くイメージが強い感じです。(”肘から先が飛び出す感覚”と例えられることもあります)その時、引手の操作は上半身がブレぬ為に反対の動きをすると言う感じ”


間違っている訳でもないのですが、何処か自分自身が行っている身体操作が表せていない感じがありました。

何か上手い表現がないか探していたのですが、たまたま打撃系格闘技を練習している後輩と稽古する機会に恵まれたので、研究している英国松濤會の突きを教える体で、説明法を考えてみました。

 

まずは後輩の持つミットへパンチを入れたり、腹を軽く殴らせててもらい、次に研究中の突きを受けてもらい、その違いを感じてもらいます。

ゆっくりとした軽い突きでも足元から崩す感覚のある突きに興味を持ってくれたようなので「どのようにその突きを行っているか?」を自分の内観を観ながら解説をしました。

突きの基礎となっているのは昨年ベルナルド先生から直接教わった英国松濤會の突きの理論ですから、それをそのまま教えれば良いだけなのですが、私の理解ではなかなか上手く解説が出来ません。

 

そこで、所謂腕力任せのパンチと突きの違いを実演しながら、その違いを内観で確認しながら解説したのですが、上半身をブレらさない様にと指導すると、それまで行っていた回転運動を止めることへ意識が行き過ぎるせいか、上半身を固めて捻じれや回転を止めてしまい、下半身の意識が御座なりになるようでした。

結果として後輩の突きは自分自身の腰の揺らぎで突きの力が吸収されているようでした。

 

なので”上半身がブレぬ”と言うことを強調するのでなく、下半身の安定を主眼にした解説を考えてみました。

実際には上半身の操作が変わる訳ではないのですが、引手による脇の絞りと連動して臀部から太もも裏を通し、重心を地面にしっかりとアースするような心持と説明すると、何とか突きに力が乗って来るようになって来ました。

しかし、急ごしらえでぎこちなく、突きと言うよりまさしく突き飛ばす動作になっていました。

 

後になって考えたのですが、突く動作には、拳を突き出す為の肩甲骨や胸郭の前後への若干回転運動と、それとは別に身体本体の上下軸を整え地面に対し安定を確保する為の運動があります。
言ってみたらその二つの運動が互いに干渉しないように動作を完徹させることが突きの要点と解説してみても良かったのかも知れません。

 

その二つの動作を干渉させない為には所謂”柔らかさ”が必要ですが、その柔らかさが両方の運動に”ブレ”を生じさせ、力の伝達を吸収するような柔らかさでは役に立たないと言えそうです。

この辺りは甲野先生が著書などで仰っていた”身体の遊びを取る”であるとか、原田満典先生から教わった開掌稽古の理解が要となって来るところかと感じるところです。

 

 

ちなみに後輩はジムではかなりハードパンチャーだとのことでしたが、確かにそのパンチはかなりの威力がありました。
体重も私よりかなりありますから、そのパンチを喰らえば私など間違えなく一発でノックアウトです。

 

しかし、そのパンチでは少し押されることはあっても足元からふらつかされることはありません。

私程度の不完全な突きでも(あくまで一種の手解きの型としてですが)重心を落とし身構える後輩を、ゆっくりと突いても後ろによろけさせる程度のことは可能ですし、しかも、それを速く突けば力が貫通して行く感覚があると言います。

 

現状、単純な打撃の強弱で言えば後輩の方が強と思うのですが、簡単な手解きを通して効果に明確な違いを見出すことが可能です。

この様な価値観の”突き”をどう応用しどう表現して行くか、常に稽古を通して考えて行く必要がありそうです。

 

【推敲済】