このところブログをサボっていましたが、稽古は続けておりました。

ちなみに、この4月より新体道は創始者青木宏之先生の天真会の傘下となり名称も天真体道と変わりました。

それに伴い一部にカリキュラムの変更もあるとのことですが、私自身は新体道本部と関わりを持たず天空会の榊原先生に師事していただけですので、これまで通りの稽古を続けられるとは思っています。

色々思うところがありますが、それはさておき、この機会にこれまで稽古して来た「新体道空手とは何か?」を自分なりにまとめてみたいと思いますが、単刀直入に結論から述べると『基礎稽古法の制定』と言うことになります。

新体道(江上空手?)は船越伝空手の”進化”した形と言われることがありますが、身体操作法を主体に稽古方法を観れば、デェフォルメによる動作手順及び身体操法の明確化、単純化を図ったフシがあります。

これを字体である楷書、行書、草書と言うものに例えるならば『新体道空手を見た人の多くはそのイメージから”草書”と捉えているが、現実には元々は”草書”表現しかなかった空手の型や構えを楷書として表した』のだと思うのです。

仮に行書、草書の位置づけの稽古があるとすれば、個人的にはそれは船越の示した型の数々の方を指す方が適切だと考えています。

Wikiに以下の解説があります。

楷書

(前略)一画一画を続けずに、筆を離して書く。方形に近い字形である。横線は、筆の打ち込み、中間の線、筆の止めがはっきりしていることが多い(三過折)。現在では漢字のもっとも基本的な字形であるといえる。楷書体は比較的新しい時代に生まれた。 (後略)

行書

(前略)1.漢字の書体の一つ。楷書が一画一画をきちんと書いているのに対し、行書体ではいくらかの続け書きが見られる。しかし、草書のように、楷書と大幅に字形が異なるということはないために、楷書を知っていれば読むことは可能である。(後略)

草書

(前略)字画の省略が大きく行われる。文字ごとに決まった独特の省略をするため、文字ごとの形を覚えなければ書くことも読むこともできないことが多い(後略)


新体道空手の型の映像を見ると、その流れる様な動きから草書と言うイメージを持ちますが、現実に動いている身体の中身は一つ一つの動作を全うすると言う意味に於いて各筋肉の運動や動作方向を明確化しています。
逆に船越の示した型は上記の説明で言うところの”続け書き”や”動作の省略”を行っているように感じられるのです。

”文字ごとの形を覚えなければ書くことも読むこともできない”にも関わらず明確な”文字ごとの形”が提示されていなかった型や構えを斬新な発想で導き出した~それこそが新体道空手のエッセンスであると感じています。


【参考記事 「新体道空手とは何だったのか」の補足