こんにちは38歳、三児ママ、yukariです。
発達障害、不登校、3人育児、兄妹児!
事件多めな毎日(笑)楽しく記録します♡
息子だいくん
小学二年生。自閉症スペクトラム症、発達協調性運動障害の診断あり。ADHDもあると思われる。現在不登校⭐︎
長女つきちゃん
年長さん。繊細さん気質ありの保育園児。
次女おとちゃん
2歳。天真爛漫、末っ子を絵に描いたような保育園児。
残していた3歳児健診の記録。
わたし。
もう一つブログを持っていて
そこは、おとちゃん妊娠中の時を中心に日々の出来事を書いていたのです
で。
振り返ったらだいくんの3歳児健診のことを書いてたんですねー
その頃、だいくんに診断はついていなくて
いわゆるグレーゾーン
書かなきゃ忘れていたかもしれないけど
せっかく残してたので、記録として
発達障害の子をもつママ
グレーゾーンのママ
一歳児半健診と三歳児健診って
なにか裁判?にかけられるような気持ちの人多いんじゃないかな
わたしはそんな気持ちでした
うちの子はごく普通あってほしい。
って、心の奥底にあったかと思います。。
意識しないようにしても
メンタルは不安定でした
そんな自分にも当時気づいていなかったかも??
今はこれでも明るく過ごしてますが
わたしは当時、なーんにも知識もなかったので
3歳児健診で見事にボコボコにくらってます
前編、後編に分かれていますので
備忘録としてこちらにも残します
文章当時のまま。始まりまーす↓
現在息子は月2回、療育に通っている。
幼稚園では集団行動も出来ているけど、コミュニケーションはやっぱり独特だし
「ごく一般」よりやっぱりクセが強くて一筋縄ではいかないところが多々あり
そんな息子の約1年前に受けた3歳児健診の話
息子の3歳児健診はコロナの影響でズレにズレて
3歳9ヶ月の頃。
定期健診は生後半年くらいから通っている総合病院の優しいおじいちゃん先生が担当。
一歳半過ぎても単語が少なく、2歳過ぎても2語文が出ず、3歳で発達相談センターに通い始めていて
2語文が出たのは3歳の誕生日過ぎ。
(現在2歳3ヶ月の娘はフツーの会話出来てることを考えると、個人差ってすごい)
特にその頃、診断がついているわけではなく、発達専門の先生と定期的に面談していたから
そんなに色々構えてはいなかった。
いざ健診。
まず体重計と身長計で計りたくないと大泣き
(今は毎月幼稚園で身体測定があるからお手の物だけど)
いつもいる感じのイマイチな看護師さんに
キレ気味に
「私は向こうにいるから、はかっといてくださいね」
と冷たく言われる
→母、メンタル少しやられる。
10分くらい格闘してやっと測定終了
で、問診票をもとに診察に入るのだが
その問診票が、、、、
◯がつかないとまずそうなところに◯をつけられなかったりした
その頃の息子は今よりも場所見知り人見知りが酷くて
先生にお名前を聞かれても答えられない。
何か言われても答えられない。
興味のあるパソコンを見て、パソコンについてずっと私に質問している状態。
先生の質問に、本人が答える
ってのが3歳児健診の基本なのだろう。
答えたのは全て私
診察を終えて先生から
言われた言葉。
先生「この子ねぇ、受け答えを目を見てできないでしょ?
自分の興味あることを空気読まずにずーっと話してる。
こーゆー子の多くはね突出した才能を持っていたりするけど、
それで成功するのって一握りで
大体はは生きづらいんだよ。
だから早めに療育受けたほうがいい。」
⁉️⁉️⁉️
先生の突然の言葉に私は頭真っ白。
謎の強がり?で返答する。
私「あ、今。市の発達相談には通ってるんです。で、様子見で定期的に面談はしてて」
先生「この子もう4歳近いでしょ?早め早めに療育したほうがいいよ。うちの病院にも発達外来あるから予約取る?」
早めの療育⁉️
なに?療育受けさせてないとマズかったの⁉️
私「あ、ハイ。ではこちらの病院でも発達外来受けてみます」
と半ばパニックなのを外に出さないように予約だけ取って
先生の
「こういう子は生きづらい」
という衝撃の言葉だけが頭の中をグルグル駆け回り。
帰路についた。
その日は旦那は仕事が休みで娘を見ていてくれた。
結果を伝えると
旦那の顔色も不安そうになった。
その夜子供達が寝静まってから
2人で話し合いをして
私は
「息子はやっぱり、、、そっちなんだよね。。この先。生きづらいことが多いのかと思うと心配だよ」
と、そこでワンワン泣いた。
ひとしきり泣いて
今後についてどうするか旦那と話し合った。
後半へつづきます!
今ならわかります
療育に行ってだいくんを、どうこうさせるのではなく、
わたし自身の意識を変えることのほうが大切だったなって思います