本日(4月29日、昭和の日)ゴールデンウィークに多くの家族連れで賑わう中、私は一人で大阪教育大学教育学部附属池田小学校まで電車とバスで行きそこの正門前でお参りした。私が一人で時期をずらして訪れたのには理由があり、私の近隣の同級生の中には私以外に人間関係カウンセリングや生命倫理や宗教死生観や犯罪防止や敬語について関心を持ったりするように改善出来る人がほとんどおらず、附属池田小事件前から休み時間中のくだけた落語がさほど親しくもない同級生同士で飛び交っていたこともあり、私にとっては昔の近隣の同級生と信頼関係を築き上げながら活動していく自信があまりなかったからである。(したがって、学校の同窓会にも私はほとんど参加していないし、近隣の同級生同士で手紙のやり取りもほとんどしていない。多分、昔の近隣の同級生は昔どんな落語を使用していたかについて記憶に薄れている可能性もあるだろう。)もっとも私は休み時間中に同級生と流暢にコミュニケーションをとる自信がほとんどなく、対人関係の摩擦が生じていたというか、教師の説明を要約しようとすると休み時間中に同級生から「知ったかぶりをするな」などと禁じられたり、対人関係の悩みについて教師に相談しようとしても「お前、俺らのことチクっただろう」などと同級生から蔑まれることもあった。私は附属池田小学校同窓生ではないし、私の経験した悩みと附属池田小同窓生の経験した悩みが必ずしも一致するとは限らないので、私と元附属池田小同窓生の双方の経験した事象についての悩みを完全に共感しあうことも難しいかもしれない。恐らく私よりももっとずっとどうしようもなく辛く過酷な人生を元附属池田小学校同窓生は過ごしてきたのだろう。あまり悩みを相談出来る相手がいないという私の精神的葛藤よりも、ある日突然見知らぬ者により刃物で身体を複数箇所傷つけられ相当痛い思いをし生命の危機に瀕した元附属池田小学校同窓生の方が遥かに深刻なトラウマを抱えているであろうことも想像に難くない。にもかかわらず附属池田小事件の被告人は裁判でも傍聴席の視聴者に対して暴言を吐き、前科歴も相当数あったということであるから明らかに度を越えた精神異常者であったことも推察される。連休であり不審者侵入防止だからという意味もあって私が附属池田小学校に着いた時、確実に門は施錠されており、校内にも正門前にも他に人の気配は無かった。私が附属池田小学校の最寄り駅の阪急池田駅に11時頃に着いてから附属池田小学校前までのバス停に向かうまでに市立池田病院も経由したのだが、その他に私の目に留まったのは池田警察署と大阪教育大学安全啓発推進センターであった。(なお、私が乗っていたバスで大阪教育大学安全啓発推進センターを経由した時には大阪教育大学安全啓発推進センターの門が施錠されており、その門前には複数の警察官が見張りの為に監視体制になっていた。)(さらに私が市立池田病院を経由した時には、市立池田病院は休診日となっていて駐車場は空いていたが病院の中を出入りすることは出来なかった。)(実際には附属池田小事件後には複数の附属池田小学生が市立池田病院に搬送され治療を受け回復した児童もいれば残念ながら治療回復の甲斐もなく亡くなってしまった児童もいた。)私は事件当事者ではないので事件の詳細について触れるのは控えておくが、罪なき第三者に向けての人権擁護について全くの無関心であったりすると、事件を未然に防ぐことが出来なかったり、最悪の場合、加害者となってしまい他人を巻き込んでしまう恐れもあるので、人権問題について全くの無関心でいるというのはなるべく避けた方が良いだろう。あと、『子ども安全リアルストーリー』や『阪急電車~片道十五分の奇跡』や『ラギッド』などの番組に出演していたり図鑑のイメージキャラクターにも任命されていた女優の芦田愛菜さんも薦めていたのは、やはり「綺麗な日本語を話すには読書が大切である」ということである。阪急池田駅の近くにある池田市立図書館には附属池田校舎の教科書や宗教や看護や防災の本などが本棚に置かれているため、是非目を通していただきたい。くれぐれもスマホ等を介した出会い系サイトで性行為などをして除籍処分とならないようにしていただきたいものである。