昨今の若い世代(私をも含めてであるが…。)は学歴重視のみで情緒(思いやり)の心があまり育っていないのではないかという指摘が一部の学術者からなされている。私自身も政治家の役割を認識しながら責務を果たすことが出来ていないのではないか、或いは、自身のプロフィールに挙げた関心のある書籍の内容をもう少し一般大衆に向けて紹介していったら如何だろうか、といった内容の問い合わせもある。もちろん、それについてもそうなのであり、私の父も哲学的書籍等を好み(ヘーゲルの『精神現象学』やニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』等)さらにはNewtonやEinstein用の光学物理学の書籍等、私の母も夏目漱石の『こころ』やゴッホやモネ等の西洋美術等の情緒教育用の書籍を好んで読んでいたが、大半の義務教育修了者に対してもう少し分かりやすく説明した方が望ましいという点はある。今の若い世代はむしろ、道徳や情緒安定の為の矯正教育を受けることなくして人々と交流し、情緒や道徳が安定している人は世間から遠ざかっているような印象を私は受けている。もちろん、書籍を執筆している日本人若しくは書籍を熟読している日本人等も大人びた性格が現代にもいるのだが、『春宵十話』(岡 潔:著)の序章で書かれていた「人に対する知識の不足を幼児の育て方や人の心を理解する為の義務教育から見直した方が望ましい」ということである。私はこの本を自身の母親から薦められたのであるが、確かにこの本の著者の岡潔さんは大阪市出身で京都帝国大学卒業後に奈良女子大学教授に就任した地位の高い人物である。この『春宵十話』という本は著者の岡潔さんが1963年に毎日新聞出版社文化賞を受賞したきっかけになった書籍らしく、夏目漱石さんの弟子の小宮豊隆さんと寺田寅彦先生の連句「水やればひたと吸い入る墓の苔かなめのかげに動く蚊柱」を挙げ、現代人には薄い人の哀しみを理解出来る古き良き文学者の素質についても紹介されている。私自身も二十歳前後の時には感じていたことなのであるが、昨今の教育の不安として、二十歳前後の若い人に、精神的衝動を抑える働きが鈍くなっていることである。精神的衝動の抑止の働きは大脳前頭葉の働きで、衝動の強く働いている現状は、一般に大脳前頭葉の発育不良と謂われている。この最近に思ったことなのであるが、群集生態学においての憎しみ、視覚的認知度、人間行動の一般論、組織学習における送り手受け手相互間の性格理解等、少しでも集団の体制が上手くいっていないと、絶えずキレギレの意志が働き続けると共に大脳前頭葉が加熱し、この絶えずキレギレの意志が大脳前頭葉に働くことを軽減しなければ本当の冷静客観的思考力が働かなくなってしまうということです。大脳前頭葉の加熱が激しくなりがちなのはタイプライターを打ち続けるといった動作、瞬時の休みなしに続けられる機械的な動作の場合で、こういう職業の人に対しては適度な休息を与えても宜しいかと思います。あとこの書籍の中で気になったことは【顔と動物性】という章の中で書かれていたことである。教育の結果というのは顔つきに一番よく出るものであるが、そう考えてみると、戦前の女学校の出身の女子学生の写真に比べ、現代の女子学生の顔つきは、礼儀作法や言葉遣いがきちんとなっていないので酷く締まりがなく、先生に対してお辞儀や礼や敬う作法を親御さんの方からきちんと教育を受けてきていないのではないかという懸念もこの書籍の中で指摘されている。確かに現代は目まぐるしく変化する情報化社会の波に対応する為、物事を瞬間的に捉えなければならない場面もあるため、人の心を緻密に汲み取る作業を行うことはなかなか難しいかもしれない。しかしながら、岡潔さんが『春宵十話』にも紹介している通り、対象を細かく見ずに観念的に物事を判断すると、人(特に若い青少年)の思いやりの心が欠け、無慈悲な犯罪にも結び付きかねないということに我々は肝に銘じておく必要がある。