2016年の終戦記念日 | keyco official blog Powered by Ameba

2016年の終戦記念日

今日は終戦の日ですね。

頻発するテロや進む各国の軍事力強化、
平和憲法と呼ばれる9条改憲に向けた流れなど、
今まで感じた事の無かった戦争の気配みたいなものを
感じずにはいられないのは私だけでしょうか・・・?

そんな中8月9日に私の敬愛するシスタ=ふまa.k.a.Mystieが
Facebookに以下の言葉をアップしました。
とても勇気のいる告白であり、また、
彼女だからこそ放てる心の底からのメッセージであると
私は大切に受け止めています。
みなさんとシェアさせていただく許可を貰いましたので、
是非今日というこの日に一読していただけると嬉しいです。

また、最近彼女の歌作りをお手伝いさせて頂いたので、
そちらもこの場を借りてご紹介させてください。
私はプロデュースと作詞作曲、コーラスで参加させて貰っています。
ビジュアルデザインは娘のMaycaがやらせて貰っています。
ライブ会場に持参しておりますので興味のある方は是非お声かけください。
http://www.tunecore.co.jp/artist/triqarts

みんなシアワセ。
世界中の人が二度と戦争を目撃しないですむ未来を祈ります。



.....................ふまからのメッセージ........................

今日は祈りの日である。

71年前の今日
私の先祖は長崎で原爆を体験しました。
幼い頃、何度も聞かされた話は心を貫きました。

戦争を起こし、参戦し、尊い命を奪った記憶が
自分の罪が何度も脳裏に浮かぶ…と
祖父は夏ごとに言い
戦後40年以上
亡くなるまで随分苦しんだと思います。

祖祖母からはピカの瞬間に
放射線医の祖祖父が『シーツを被れ!』と叫び
大慌てで真ん中の部屋に集まりあたふたしていると
ドーーンと地鳴りがし、
突風が吹き、戸も障子も瓦も吹き飛ぶ中、
ただただじっと身を固くし震えていた事
ガラスも何もかも割れた窓からみたキノコ雲の事
人探しに爆心地に向かう道見た被爆した牧場の牛の事
水を求めて川に飛び込んた人の亡骸の山の事
美しい長崎が一瞬にして消えた事の衝撃と
あまりの悲しさに暫く涙が出なかった事を聞きました。

傷ついたのは心だけではありませんでした。

祖祖父は被爆の恐ろしさと未知数を直ぐ家族に話し
それでも医者として、救護に当たる覚悟を決めたと
看護婦だった祖母達を駆り出し翌日から市内に入り
約一年、ずっと被爆者の生死と向き合ったそうです。

翌年、祖祖父は山道で心臓発作を起こし帰らぬ人に。
その暫く後、祖母は膠原病に。
母も癌や膿腫、心臓病を体験し、私は白血病に。

私の病がわかった時、
祖母は大粒の涙を流しながら
『あの時、爆心地に行かなければ。ごめんね』と
何度も謝りながらおいおい泣きました。

わかっていたとは言え、人助けをした結果
自分の家族の命を傷つける事になるなんて…と。

その時、私は絶対生きようと決めました。
そうしないと我が家の戦争は終わらないと。

みなさまの多大なお力添えを頂き
お陰様で私の白血病は完治しました。

決して楽な闘病ではありませんでしたが
今日、またこの祈念日を生きています。

生きたいと願いながら
命を奪われた沢山の人々の思いを
もうこれ以上裏切ってはいけないと思っています。

その為に私ができる事は
自分の先祖との約束を守る事。
『二度と戦争を目撃してはならない』

日本だけの平和でなく
世界がひとつの大きな和になる事を切に祈り
これから東京へ向かいます。

私に生きる事の素晴らしさを教えてくれた
Sista Keycoちゃんのライブへ。

歌と言う字は
『大きな欠けらを
小さな可能性が重なり合い支える』…と書きます。

今日からまた心いっぱい
愛の歌、地球に届けましょう♡

I give this prayer for whom lives
and shares the life on this planet with me.

Love and Harmony, Mystie。