自分は2014年10月にニュージーランドでヘルニア手術を受けた
もうかれこれ2年半前(;^_^A
自分は高校生の時(注:年号昭和)
器械体操部で現在より30Kg以上痩せていた(・□・;)
地方の名もない高校の体操部だったので全然強くないし
自分の出身校はかなりの進学校
地方の県立高校で東大に4or5人入学するって凄いらしい
その高校で自分はもちろん東大を受ける頭とかなかったけど
それでも都会に憧れていた田舎のアホな高校生だった自分は
東京に近い国立大学という事で埼玉大学経済学部を受験し
当たり前のように撃沈(;∀;)
滑り止めの九州内のへっぽこ大学を受験したが
ここも撃沈(;∀;)
でもへっぽこ大学に補欠合格で行ったんやけどね( ´艸`)
脱線・脱線(;´∀`)
その勉強に重きを置いた高校なので全ての部活が弱い
部活の先生も野球の経験のない先生が野球部の顧問をしてたしね
でそのような知識のない先生の下で体操部に属し
腰を思いっきり痛める(>_<)
同学年で体操部員4人いたけど全員腰痛持ち(;^_^A
それから20代は3年に一度、30代は2年に一度
40代は1年に1回ぐらいの割合で
ぎっくり腰を発症
(>_<)
ニュージーランドで最初にぎっくり腰を発症したのは
掃除中にテーブルを持ち上げた瞬間
背中に稲妻が落ちる⚡⚡
それからフリーズ・・・・
当時はフラッティングしていたのでフラットメイトが帰ってくるまで
床に伏せ, GPに連れて行ってもらう(;´∀`)
英語もあんまり話せなかったから上手に説明できずに
乱雑に扱われ、痛かったのだけ覚えている(>_<)
強い痛み止めとPhysiotherapistに紹介状を書いてもらい
ACCがカバーしたので鍼治療も格安で受けたと思う
2009年に結構大きな病気になり体重が激減!
脂肪だけじゃなく筋肉もかなり落ちてしまった
体重が50kg台だったので今考えると羨ましいけど
当時は痩せすぎて体力がなくなって大変だった(;´・ω・)
腹筋も落ちてしまったから腰を支える筋肉がなくなってしまって
更なる腰痛に悩まされる(;'∀')
てな事を繰り返していたら
2014年になると自力ではまともに歩けなくなる(;´Д`)
松葉杖や歩行補助器具を使って歩いてた
でも元会社は病院・リハビリに関する機器を提供する会社だったので
会社の使い古しの器具を使用できたのはかなりラッキーだった
最後の方はもう痛くて歩けなかったので
電動車椅子を使用してたし(^^)/
2014年の6月に家族に不幸があって日本に帰国した際に
MRIスキャンを日本で受ける
日本で保険がないので全額自己負担で
医者との面談+レントゲン+MRIを受け
多分6万円ぐらい払った(;^_^A
日本の医者の判断は
「直ぐに手術を受けなさい。椎間板が背骨から飛び出ていて神経を圧迫している。神経をこれ以上圧迫する前に手術しないとあなたの左足は使い物にならないかも知れませんよ」
と笑顔で言われたのを覚えている(-_-;)
NZに永住しているのでNZで手術を受ける旨を説明し
そのデータはCDに保存してもらいニュージーランドの医者に見てもらう
すると医者は私立病院(Ascot Hospital)に紹介状を書いてくれた
問題が自分のGP(医者)がACCに連絡を取っていたため
ACCが認可又は不認可の決定をしないと
自分は手術が出来なかった
ACCが認可すると自分は1ドルも払うことなく
更には療養中も給料が支払われる
ACCが不認可すると保険会社が手術代を払う
療養中は有給休暇扱いにするつもりだったので
保険会社のプランも給料に関しては問題はなかった(^◇^)
でもACCが中々判断を下さなかった
多分3か月ぐらい待たされた(-_-;)
昔の会社はACCと仕事をしていたおかげで
自分はかなり地位が高い人を知っていたので
お偉いさんに電話して
「不認可で良いので決定だけしてもらえないだろうか?」
とお願いしたところ
次の日に認可される(・□・;)
地位が高い人って力持っているんだなぁ~と実感( ´艸`)
これで手術準備の全ては整い
形成外科医とのミーティングを何度も行う
余談:この時形成外科と整形外科が違うと初めて知る(''◇'')ゞ
こんな状況でも自分は週に80時間ぐらい働いており
手術ミーティングの為会社を1時間ぐらい抜けると
非難GOGO浴びたのを覚えている
なので医者のいう事があんまり理解できなくても
面倒くさかったので、全てをYesと答えていた💦
これは絶対に良くないのでサポートパーソンは重要だと思う
ちょっと長くなり過ぎたのでその2へ・・・
腰が痛いと料理もあんまりする気力がなく
TakeAwayの嵐の夕食(;^_^A
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