今日は、長男と三男の通院日だったのよ。



2人、同時にやるんだけど



先生の、調子はどう?って言葉かけからはじまって



最近の体調を説明するんだけどね・・・




長男は自分のことを、言えるようになってきた。



説明している言葉を聞きながら



補足してあげることはないかしら?って



注意を払いながら、となりで ぽーっとしているの。




ふむ・・・まあ、今日はこんなもんでいいかな・・・と、



私自身が納得していたら



長男が自分から、春の今の時期は自分の行動きをつけなくちゃ。



と、言い出すから



ああ、ちゃんとインプットされているのねえ・・って



理解できました。




で、一番下の診察に入ったとき



長男が、なんか突然話し出した・・・・





先生が





はあ?・・・と、いいながら きょとんとしだした。





じつは、私も理解できなかったんだよ汗





それと、今と何が関係あるのかな?って・・・・




息子が何を言ったかすら




今、思い出せないくらいだけど




とにかく、場が 混乱した・・・




一番下は下で、おもちゃで遊びながら




意味不明だし・・・




先生は、両方の子供たちをみながら




はあ?????




って、こまってるし・・・・・・




私もわかんないし・・・・





で、私がいきなり切り出した言葉・・・・





先生、私、常にこういう不思議な環境に居るんです。





先生笑ってたけどさ・・・




まあ、



あんま、深く追求しないことだよね。



あんま、まじめに求めないことだよね。




だけど、私は、だからといって、



ずっと駄目だとは思わないし



まあ、気長に大らかに接していれば



そのうち、なんとなかなっていくんぢゃねえの?




と、思って、長い、長い年月



障害持ってる子供育ててきたけど・・・



年単位で構えて、



そのうち、できるようになるよ・・・たぶんね。




そう思って、ゆったりといるの。




じっさい、長男は、年々



自分のことを、説明できるようになってきているしね。



3年くらい前は、まるきりずれてたけど



3年たったら、できるようになってきているもん。




あれはまだ、できないけど、



でもこれは、できるようになっているよね。




そこんとこ、探しながら接していたら



できなかったことも、できるようになってきているよ。




これ、障害もってようと、いなかろうとそうだと思う。




健常児の次男みててもそうだもん。



以前は、こういう場面になると



ものすごい腹立てて、破壊的になったのに



ま、いっか。



って、やり過ごせるようになっていたりさ・・




だまって、



お~ 成長したねえ・・・って密かに思う。




何事においても ゆとりかなあ・・・




振り返れば、今までの自分



ほっ・・・・んとに ゆとりなかった。



すべてにおいて ゆとりがなかった。



だけど、ふっと ゆとりを持てるようになったんだよね。




世話やくより、できるようになるのを待っててあげる。



年齢重ねれば、できるようになることや



心の構え方もかわってくるもんだよね。




子供であっても、大人であっても同じとおもう。




できるようになれないなら 罰を与えるって



追い詰められたら



罰が怖くて 怖すぎて 見失う。



そういうこと、自分自身が経験したことあったけど



あれは、本気で辛かった。




態度を変えずに、暖かい愛をもって冷静に接する。



そうすることで、受け取る側もきちんと受け取れる。



そのゆとりあってこそ、落ち着いて物事にとりくめる。




じっさい、私は 自分がイラっとくる状況をつくらない工夫をした。



困ってあたふたしている息子を、叱らないようにした。



そしたら、気持ちが伝わるようになって



息子ができるようになってきた。




自分がされて 嫌だったことは



絶対に人にはするなって、お母さんから教わった。



自分がしてもらって うれしかったことは



今度は自分が他の人にできるようになろうって先生に教わった。




だから、息子たちには



自分がしてほしいことを してあげたら



いい感じに、息子たちが変わってきた。




癌になってから、たくさん人生見つめなおした。



そして 思った。




人に対して やさしく あろう。と。