今日の記事は










ブログを始めてから 毎年UPしてる記事です。

(なので時系列が少し違います)








読んだ事ある方はスルーで。










もし まだ読んだ事ない方は










よかったら読んでみてください。




















私は 被爆者3世です。








祖母が長崎で被爆しています。








今回 また 載せます。








お婆ちゃんから 少しだけしか聞けなかった 原爆の事。








少しでも こうして 残せるといいな…。








という 気持ちを込めて。
















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今日は8月9日。








長崎に原爆が投下された日です。








私のお婆ちゃんは長崎で被爆しました。








お婆ちゃんの事は一度記事にした事があります→こちら




















小学生の時に








「お爺さんお婆さんに戦争の体験を聞く」








という宿題が出されたのか電話をしてお婆ちゃんに一度だけ聞いた事があります。




















その日








お婆ちゃんはお友達に頼まれてズボンの直しをしていた事。








家の中にいたので助かった事。








妹は外で遊んでいたので助からなかった事。








その後は、曾婆ちゃんと山へ走って逃げた事。








大事な物(通帳とか)は、いつも曾お婆ちゃんの腰に巻いていた事。
















お恥ずかしいですが、これくらいしか覚えてません。








でも、お友達にズボンの直しを頼まれなかったら外にいて、お婆ちゃんは助からなかったかも・・・。








そしたら私の母が生まれる事も、私が今ここにいる事もなかったかも・・・。
















お婆ちゃんは、もう亡くなってしまいました。








胆石の手術をしたり骨粗鬆症とか・・・でも基本元気でいてくれて










何度も長崎からお爺ちゃんと一緒に遊びに来てくれました。










結婚式にも来てくれて本当に嬉しかった事を覚えています。








最後は急性白血病でした。










年齢も年齢なので体力もないし骨髄移植などせずに痛くないように・・・・。








母や叔父さん、おばさん・・・本当に辛い決断だったと思います。








病名はお婆ちゃんには言わなかったようです。
















でもお婆ちゃんは病院の先生に








母が(曾お婆ちゃん)血液の病気で亡くなってるから、私もそうなると思った








というような事を言ってたようです。








長崎だから?そういう患者さんも多いのか病院も血液の専門の病院だったようです。








きっと いつも行ってる病院の血液検査で








そちらに行くように言われた時に思う所もあったのかもしれません。








私は長男を妊娠中という事もあって、入院中もお葬式も出る事は出来ませんでした。








3歳のころには1年間長崎で一緒に暮らしていた時期もあったし










初孫って事で本当に可愛がってもらったと思います。








なので本当にいけなかった事が辛かったです。












10年前・・・3回忌でやっと行く事が出来ました。










お墓に行く時










「やっと来れた」










と思うと涙が沢山出てきました。








そして、その時に長崎の平和公園に行ってきました。




(爆心地は残念ながらゴールデンウィークで混み合っていて横を通っただけでした。)







そして、

平和公園にあった石碑に書いてあった文です。








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のどが乾いてたまりませんでした




水にはあぶらのようなものが




  一面に浮いていました




どうしても水が欲しくて




とうとうあぶらの浮いたまま飲みました




 ━あの日のある少女の手記から


















もっと本当はいろいろ聞いておけばよかったのかもしれない。








と子供が出来てから思うようになりました。
















母は2世。








私は3世。








子供達は4世。
















子供達にどう伝えたらいいのかは分からないけど










自分達が原爆にほんの少しでもつながっているという事は事実。








私もそうだったように








そういう事からでも何かを感じてくれるといいと思ってます。
















このような悲しい出来事が二度とおきませんように。。。。。。。。