久しぶりに、ゆっくりした日曜日の夜。早めにお風呂に入って、ほっこり。でも、ちょっと仕事しなければなあ、と思いつつ、こうしてつれづれなるままに書いています。少しおつきあいください。
先日、ひろちさや著『空海入門』を読みました。空海って、高野山を開山した人、密教の祖、というイメージしかなかった。現にそうであったのですが、ひろちさやさんから見た空海の人となり、について、いろいろ書かれていた。中でも、【密教は、仏になりきって生きる、空海も仏になりきって生きた】、というのが印象的であった。空海は、仏になりきって生きたから、厳しい修行も、なにもかも別に苦でもなかった。“学ぶ”とは、真似すること、真似して徹底的に真似して、その中から生まれる、そのままの自分。私の人生の師匠も、「徹底的に真似すればいいねん。それができる人は、いないねんけどな。」っておっしゃる。そう、真似するって、否定的な言葉として捉えられるけど、徹底的に真似することって難しい。空海は、あるがままの現実を大肯定して生き抜いた。私も、自分を素直に肯定して、あるがまま、自然のエネルギーの中で、生きたい。でも、こんなに汚れた中で、そして、自分も汚れている中で、どんなに難しいか・・・。もし、少しでも、まだ綺麗なところが残っているのなら、素直に嘘つかず、生きていきたい。
そう、秋の日曜日の夜に思うのです。