今日も讀賣新聞から。19日付けの夕刊、「夕景時評」。このコーナーは、大阪本社の編集員の方の寄稿によるもの。今日の記事は、御所で使う印「御用印判司」(ごよういんばんし)を300年間作った店「鮟鱇屈」(あんこうくつ)の現在の店主で篆刻家の水野恵さん(76)について。篆刻の歴史は、ざっと700年とのこと。中国などを経て日本で発展してからも1300年以上。日本の篆刻の歴史を継いできた京都言葉にこだわり、ひとつひとつの文字、作風の意味を知り、どの字をなぜ、どう彫るか、いかにおすか。技術だけでは完成しない。そして「どんな作品も自分ひとりで作るんですから、うまくできんのは自分がどこかおかしい、ということ。先人の考え方を理解していないということ。だから、原点に戻ってやり直すしかない。急がば戻れ、どす」と言う。そして、編集員の方は、「印象は元々、神へのお供えを『封印』するために誕生したと伝えられている。そこには己のためではなく神のためという謙虚さ、感謝がある。いのちは己のためだけではない・・・」と締めくくられていた。
言葉のひとつひとつに神が宿る、と最近教えられた。言葉のはしばしに己も出る。自分のおかしさも出る。言葉が全て。また、何も言葉を発しないものも卑怯。本当にそうだと思う。なかなか実行できずにいる愚かでずるい自分がいる、そう思い、考えさせられた。
言葉のひとつひとつに神が宿る、と最近教えられた。言葉のはしばしに己も出る。自分のおかしさも出る。言葉が全て。また、何も言葉を発しないものも卑怯。本当にそうだと思う。なかなか実行できずにいる愚かでずるい自分がいる、そう思い、考えさせられた。