昨日(9月18日)の讀賣新聞夕刊文化面に田辺聖子さんの「猪名の笹原風吹けば」というコーナーがあり、『大阪弁の恋物語』というエッセーを寄稿されていました。
エッセーによると、田辺さんは、大阪以外の都会を知らないし、言葉も知らない。だから、東京弁での恋人たちの会話も想像がつかない、外国語の恋愛小説を書くようなものだ、という。例えば、愛の告白、恋心をちょろっと白状した場面、大阪弁だと<えっ、いま、なにいうたん?>となる。(5年ほど東京に住んだ私が、少々訳してみると、これは・・・う``どうなるんやろ・・・分からん。)そして、その言葉に続く言葉として、<いわんでも、わかるやろ><いわな、わかれへんやんか><あほんだら>となる。大阪弁のケンカ言葉、罵詈(バリ)は、即愛語になってしまう、とのことであった。
なるほど。東京でも、大阪弁がくずれなかった私は、ほんと、大阪弁の不思議さを改めて感じる。ケンカ言葉であっても、愛情を感じる、そう思う。東京の女性と大阪の男性がつきあって、別れた原因が<あほ、あほ、言われて、何もいえなくて、きまずくなって・・・>(もちろん、それだけではないが・・・)と聞き、<え?!それって、愛しいと言われているんと一緒やん。>って、言ったこと思い出した。これだけ、違うんですね。改めて驚き。