毎日送ってくれているメールマガジンに下記のような言葉があった。
ベトナムの仏教の僧侶であり、詩人でもあるティク・ナット・ハンは、一服の茶の楽しみ方について書いている。
お茶を楽しむためには、人は完全に、今という時に目覚めていなければならない。
今という瞬間を意識している時にのみ、手は茶わんの快い温かさを感じることができる。
今という瞬間のみに、香りを楽しみ、甘さを味わい、繊細さを感じとることができる。
過去のことを思い煩っていたり、将来のことを心配していたりすると、一杯のお茶を楽しむという体験を失してしまうだろう。
茶わんを見おろすと、もうお茶はなくなっているのだ。
人生もまったくこれと同じである。
今という時に完全に心を向けていないならば、まわりを見まわしてみると、もうそれはどこかへ行ってしまっているのだ。
人生の感触、香り、繊細さ、美などをすべて見すごしてしまう。
人生はただ、あなたの目の前をあっという間に通りすぎてしまうだろう。
過去はすでに終わっている。そこから学ぶことを学び、手放せばいいのだ。
未来はまだここにない。
未来に対する計画をたてるのはよい。でもそのことを心配して時間をむだにしてはいけない。
心配は必要ないことなのだ。
すでに起ってしまったことを気に病むのをやめ、起らないかもしれないことを心配するのをやめた時、あなたは今という瞬間にいることができるのだ。
その時、あなたは、人生の喜びを十分に体験し始めるだろう・・
過去、私は、明日は必ず来ると思っていた。 だから、岡本真夜さんの「Tomorrw 明日を信じて」という歌が好きでよくカラオケでも歌っていた。涙の数だけ強くなれるよ・・・という、ヒットした曲です。しかし、ある日突然事故や天変地異で朝いってらっしゃい、と言っていた人が夜には帰ってこないかもしれない・・・そう思ったとき、この「Tomorrow」が自分の中で、どこか違う曲になってしまった。カラオケでも歌えなくなってしまった。以前、人生の師匠に「明日があると思ったらアカン」って注意された。私は、そのとき「なんでやねん」って反発したけど、今ならわかる。明日があると思うことは、何とこれほど根拠がなく自分勝手な解釈なのか・・・。
メールマガジンでもらった上記の言葉の中で「今という瞬間を意識する」というのが、どん、と私の中に来た。
ベトナムの仏教の僧侶であり、詩人でもあるティク・ナット・
お茶を楽しむためには、人は完全に、
今という瞬間を意識している時にのみ、
今という瞬間のみに、香りを楽しみ、甘さを味わい、
過去のことを思い煩っていたり、
茶わんを見おろすと、もうお茶はなくなっているのだ。
人生もまったくこれと同じである。
今という時に完全に心を向けていないならば、
人生の感触、香り、繊細さ、美などをすべて見すごしてしまう。
人生はただ、
過去はすでに終わっている。そこから学ぶことを学び、
未来はまだここにない。
未来に対する計画をたてるのはよい。
心配は必要ないことなのだ。
すでに起ってしまったことを気に病むのをやめ、
その時、あなたは、人生の喜びを十分に体験し始めるだろう・・
過去、私は、明日は必ず来ると思っていた。 だから、岡本真夜さんの「Tomorrw 明日を信じて」という歌が好きでよくカラオケでも歌っていた。涙の数だけ強くなれるよ・・・という、ヒットした曲です。しかし、ある日突然事故や天変地異で朝いってらっしゃい、と言っていた人が夜には帰ってこないかもしれない・・・そう思ったとき、この「Tomorrow」が自分の中で、どこか違う曲になってしまった。カラオケでも歌えなくなってしまった。以前、人生の師匠に「明日があると思ったらアカン」って注意された。私は、そのとき「なんでやねん」って反発したけど、今ならわかる。明日があると思うことは、何とこれほど根拠がなく自分勝手な解釈なのか・・・。
メールマガジンでもらった上記の言葉の中で「今という瞬間を意識する」というのが、どん、と私の中に来た。