新撰組 幕末の青嵐(せいらん)
木内昇著 集英社文庫
小学生の頃から日本史が大好きです(一方で世界史は涙が出るくらいダメだったが・・・)。中でも戦国時代の国取り合戦時の戦略や立身出世、そして幕末の大きく動く歴史、その中で実際に生きていた人がいて、その時々の感情を読むのが好きなんです。そのため、本著も本屋で見つけ、すぐに手を取り夢中で読み始めました。土方歳三、近藤勇、沖田総司、永倉新八、斉藤一・・・新撰組およびその関係者十六名が、入れ替わり立ち替わりクローズアップされています。
どちらかと言うと坂本龍馬贔屓だったため新撰組の印象はイマイチでしたが、本著を読み進んでいくと、「武士になりたい」「剣を極めたい」「尊敬する者を出世させたい」など普通の若者が持つ思いのもとに時代に翻弄されていたのかと感じました。それぞれの隊士が心の内を吐露する言葉が時々私の心に突き刺さりました。特に『剣で日本一になりたい』と一途に思い続けていた沖田総司の言葉。
「時折、ほんの些細なことに躓い(つまず)てやさぐれている人を見ると、もたいないな。あの人は気づいていないんだ。大きなものに守られてきたはずなのに。大きさとすれば両手で持てるくらい、あんなにムキになって世間のせいにしたり、周りに当たり散らすほどのものではないのに。」
「自分のためとか人のためとか、そういうんじゃないなあ。なんだか『なにかのため』とか言っている時点で嘘くさいんだよなあ。」
「負けたと思うのは、自分の思った剣が振るえなかったときなんだ。はっきりとは分からないけど『なんか違うなあ』と思いながらやっている。結果勝っても、それはやっぱり負けなんです。勝っても負けているのは負けるよりもずっと辛いんだなあ。負ければ学べるけど、ごまかして勝つと情けないだけ。」
今の私よりもずっと年下の若者たちが思いを持ち続けた純粋な言葉に何度も胸が詰まりました。
