ニューロリハビリテーション8(僕の臨床感) | カッサーノのニューロリハ〜脳卒中リハビリを考える〜

カッサーノのニューロリハ〜脳卒中リハビリを考える〜

特に回復期〜維持期にかけ、脳卒中リハビリを本気で考えていきます。私の目的は【脳卒中の方が障害をもった中でも、地域でいきいきと生活する】そのために機能改善〜生活、予防まで考えていきたいと思います。いろいろな方と情報交換ができたと思います。

「ニューロリハビリテーションとして、僕自身なりの結果を出すということ」


今日はかなり長くなると思いますので。

ここずっと、必ず患者さんの実感=即時効果を出すことを意識して臨床を行っていました。


その繰り返しの中で、効果が出るときがなんとなく分かってきました。




「入出力の関係」



この考え方が、自分には1番しっくりきて、自分の臨床を説明してくれます


今日はこの話をしていきますが、


脳の入力と出力。言い換えれば予測と結果。


これが一致していればいるほど、「楽」、「無意識」、「安心」へつながります。

つまりこれらを患者さんに実感させてあげることが、患者さんにとっての報酬であり、私たちの効果になります。



ただ原側として


患者さんは、種々の機能低下により、出力が低下するため、不一致が起きている。(入力も障害はされるが)

この不一致とは、今までの記憶で動いた予測と、実際に動いた結果。


だから


(思ったよりも)力が入らない、重い。

(動けると思って)動かない。

(支えられると思って)膝が不安定だ。


と、必ずおっしゃる。麻痺があるから重いのでしょうか?


でも脳性麻痺の方(=生まれた時から麻痺がある)は重いと必ず言うでしょうか??

そしてステージ5や6の方でも重いと言われる。見た目はたくさん動くのに。

そう、見た目ではありません。


つまり、「入出力の関係性」を整える・一致させることが重要です。



そのため考えれられることは、

1:出力を上げる→以前のイメージへ近づける

2:入力を下げるor変化させる→入力=出力の予測(遠心性コピー)であるため、予測(イメージ)を変える


1は分かりやすいかと思いますが、筋トレや可動域の拡大、促通などで、今までの記憶(予測・内部モデル…)へ近づける。


2は、今の身体の出力に合わせた入力に変えるということ。入力というのは言い換えれば出力の予測です

予測が高いから、思い通りの出力ができず、不一致が生じる。

つまり、今の身体機能に対して、見合ったイメージ(予測)を形成して動くこと(以前のイメージではなく)で、予測と結果の一致を図る




しかし、患者さんは以前のイメージで動くことを基本に、そして学習(代償)していく


例えば元々、下肢筋力100の力が出せる方がいて、骨折により50しか力が出せなくなった場合、荷重を行うとき、50以上の力が要求されれば、必ず代償が出たり、痛みによる逃避反応がでたり。

それが分かれば(学習能力があれば)、次からはなるべく痛みがでないように(予測)50以上の力を極力出さないようにする。でも歩くなど要求されれば、身体が自然と代償を行い行為を遂行していく。

なので上記にも書いたが、この代償は必ずしも悪いわけではない。50以上の力を要求されて代償ができなければ、転倒へとつながるから。


覚醒レベルが低い方、注意障害の方、感覚障害が重い方などは、自分が支えられない量の体重をかけて、容易に麻痺側へ転倒します。そしてそれにもよく気づかない。もし気づいても修正の仕方が分からない。

だから同じように繰り返す。


つまり代償ができれば、それは患者さんは課題の遂行を行うための反応であり、PTにとっては代償というマイナスイメージをつけているにすぎません。(もちろん代償は極力少ない方がいいです。それは楽や安心感に影響するからです。)



話を戻しますと、


50の力しかない患者さんに、高い課題を要求させると、患者さんは以前の感じで動こうとする。でもできない。


すると大抵の患者さんは、力を入れて力んだり、本来とは違うところに意識したり・・・


つまり


「過剰」という反応を示す。それが固定的、意識的。


つまり自分が思った予測と、結果にすごい差があるため、過剰にならざる得ない。


患者さん自身は、今までの予測に近づけようと、出力を高めようとする。つまり上記の「1」です。


ただ差がありすぎるのです。最高のゴールと比較しているからです。それでは必ず報酬は得られません。


学習とは一気に跳躍伝導みたく飛躍できるものではありません。

今の自分のレベルに少し難しい課題をクリアーして徐々に向上していくものです。


いきなり、教授になんてなれませんよね?いきなりプロスポーツ選手になんてなれませんよね?


患者さんがこのレベルをイメージして動くと、報酬は少なくなります。もちろん根性がある方、それでも続けられる心の強い方は、伸びると思います。しかし人によってはいつまでたっても不快な身体と記憶され、今後付き合っていく身体に拒否的になる方もいるかと思います。前の体が自分だ!みたいな。



なので、上記で書いた「2」のような手続きが必ずリハビリには必要です。


そう、「今の身体機能に見合った出力(予測)をさせる。」

そして、「その出力に少し難しい課題にチャレンジさせること。」


こういう関わりを行うと、実感を伴った効果が得られやすいです。


ただ原則として脳は能動的(入力=出力が存在)に動いたことを学習していく


だから患者さんには入力と出力を必ず提供させる。


「うごかされた」、「何やってるか分からない」、「今の自分の能力より高すぎる」ような予測が生み出しにくい手続きは少なくする。(パッシブも最初の運動の方向などを知るなど良いこともありますが)




具体的に言います


1つ目に今の身体機能の見合った出力をさせるですが・・・


今の身体機能レベルに気づきを与えることだけで、効果が出る方もいます


それは、急性期で自然回復していても本人は気づいていない。

つまり最初は50の力しか出ないが、実は70の力が出せる潜在能力がある方なんかは、本来の自分の能力を気づきを与えるだけで、すぐに出力が変わる。


後は、体重をかけすぎている人。「支えている感じ」を得ようと、お尻が引けたり、体幹が屈曲・側屈しても過剰に支持してる人には、ここまでは姿勢が良く支えられるけど、これ以上は太ももがパンパンになったり、体が歪んだりと教え、これ以上は上手く支えられていないラインを教えることもあります。


つまり、今の身体機能をまず知ること。それがないと比較ができないからです



2つ目は、その出力に少し難しい課題にチャレンジさせる


例えば


下肢筋力が50しか出せない方に、課題A(求める力500)を求めても、患者さんにとっては差が大きいだけであり


差分の450を介助で助けたとしても、介助がとると、患者さんが450を自分で補わないといけない。そんなことはできません。


なので課題A‘(求める力100)と難易度を下げる。それでも差が50ありますが、


患者さんには70とか80とかの力を要求させ、それでもできない分は環境設定やハンドリングにて補う。



大事なことは、100の課題に対し、患者さん50+PTのハンドリング50で遂行させないこと。


ましてや、患者さん20+PTのハンドリング80で遂行させないこと。




当たり前やん!と思うかもしれませんが、僕はできませんでした。なぜかというと、正常運動を意識しすぎていたからです。


少しでも逸脱した代償はなくそう。


と考えてしまうと、PTのハンドリングが大きすぎて、過介助になってしまい、患者さんが動くのではなく、自分が動かそうとしてしまっていました。


そういうときは、いくらいい反応だろうが、汎化しなかったり、患者さん自身が再現できなかったり。



課題A‘(求める力100)に対し、患者さんには代償が少ない中で、少しでも今の身体機能よりちょっと難しい練習を行ったもらい、あまりに強い代償や課題遂行が自分の求めるものと逸脱していれば、そこは手助けを与える。


じゃあ課題A‘遂行時に、逸脱している所はなんだ?の判断になるのが、自分の中にある「良い○○」です。


課題A‘に必要な要素(コンポーネント)は?その要素を獲得するために、患者さんに課題を設定して、能動的に感じ・動いてもらい、そのさらに足りない分や、感じ・動いてもらう頼りとなる情報を与えるために、ハンドリングを行います。

(こうやって接していると、前よりもハンドリングやさしくなりました。)




そして、患者さんがの視点が大事と言うまでもないなら、効果というのは患者さんが決めるということです。

だから患者さんが「良かった、楽になった、動き方が分かった、こんな感じで今まで動いていたのか」など実感を伴うことが必要です。






脳を勉強して、学習とは?報酬とは?予測と結果とは?などいろいろ知って、考えてきた中で



僕は、こういう考え方で、リハビリを行っています。




簡潔にまとめると


・現状の機能や能力を患者さん自身が知る=現状把握

・現状から少し高い課題を達成できる=課題設定の重要性、報酬

・患者さんにもっている力を出させた上で、足りない要素をPTが介助や誘導を行う=能動的に動く

・できないからとか正常運動を求めすぎて、他動的要素を強くしすぎ、患者さん自身が運動主体感を感じられないようにしないこと=入出力の関係・予測と結果の関係

・現状と比較して、良くなったという違いが実感できること=誤差学習、報酬




これが僕の臨床感です。



ただ、補足を加えると


僕も無意識の部分を重要視していないかと言うと、そうでもありません。

そして、脳の可塑性を最大限に引き出そう。機能を良くしよう(上記の1)を重要視もしています。


なので、骨関節系の○○手技の勉強もしていますし、


脳の賦活を高めるような電気刺激や上肢麻痺にももっと機能を高めることはできるんじゃないかと思っています。


臨床ではマッサージや骨関節系のテクニックもしますし、tDCSもしますし。



患者さんが良くなったと感じてもらうための手続きなんです。全てが。



患者さんが「主」なのです。




でもある療法を強く意識してしまうと、患者さんが例えば「麻痺を治療してほしい」と言ってきても、それは僕の考えの中にはそれはないです。となりかねません。その治療は私の所属する治療にはないです・・・。と。


旅行会社では言えば、私たちが「沖縄旅行に行きたいです」。と訪ねたら、うちは「北海道旅行しかできません」と言われているようなものです。

私たちには旅行会社を変える選択ができますが、患者さんには病院も、療法士も、治療も選択できるチャンスは少ないです。


もちろん、根拠をもってここまでは良くなる可能性があるが、これ以上は難しいなど、しっかり説明して、もっとこういう視点でのリハビリもありますよ。と選択枝を与え、それに対して患者さんやご家族の方が選択するというのが普通なのではないでしょうか?

それが患者さんのneedsであり、求められたもの対し、結果を示していくのが私たちの仕事だと思います。


だから脳だけでなく、いろんな分野。それこそ解剖、運動、生理学といった基本的なことを知り、確かな知識、報告から根拠をもってリハビリをする必要があります。


回復期病院にいるため、最大限の機能回復(エビデンス、確かな知識)と生活により沿ったリハビリ(機能回復ではない心に寄り添うリハビリ)の両方の展開をしていきたいと思います。


そして、患者さんが実感が伴った関わりができるPTになりたいと思います!


長々と僕自身の考えを読んでいただきありがとうございました。