脳と心 | カッサーノのニューロリハ〜脳卒中リハビリを考える〜

カッサーノのニューロリハ〜脳卒中リハビリを考える〜

特に回復期〜維持期にかけ、脳卒中リハビリを本気で考えていきます。私の目的は【脳卒中の方が障害をもった中でも、地域でいきいきと生活する】そのために機能改善〜生活、予防まで考えていきたいと思います。いろいろな方と情報交換ができたと思います。

☆お疲れ様です☆


さっそくですが、今日は「脳の中に心はない」という話ができたらなぁと思います☆


ちょっと長くなる可能性がありますので気軽に呼んで下さい(~_~;)




はじめに


「心」ってどこにあると思っていますか?



昔の人でしたら、心臓とか、胆のうとか、身体全身の組織にあるなど言われていた時代もあったそうですが



現代の人は脳の中にあると思っているのではないでしょうか?



だから、自分たちの心を内面と置き換えて表現するのだと思います





でも、僕は脳の中にも「心」はないと思っています



じゃあ、どこにあるかと言いますと






心は、脳から身体を介して、外の環境と相互作用する中で生まれると思っています



(このフレーズって心を運動に置き換えても、ほとんど違和感ないですよね☆)






少し違う話をしますと


1900年代後半から神経生理学が飛躍的に進歩し、


「心とは行動そのものではなく、その原因となる脳状態のことである」


という「心脳同一説」の主張する立場が多くなり、今も脳科学者のみならず、一般の方にも受け入れられています


つまり、心は脳の中にあるということです



だから、脳の研究は、無意識的なことから研究され、それらが分かってきたら、きっと主観的な心が浮き彫りになり、脳のどこかにor脳のこういうシステムの中に「心」というものがあるのではないかと思われています


(それが今の、脳科学の主要な研究手法です!)




しかし、それは本当なのでしょうか?!つまり心は脳の中にあるのでしょうか?






哲学的になりますが、ある本では




心というのはどこかに存在しているもの(実体)ではなく、顕在的・潜在的な行動パターンのことと言っています




例えば



「優しさ」というのは、心というものが優しいという性質を持っていることではなく、ある人は、ある条件のもとで、「優しい」と呼ばれる行動パターンをとる傾向があり、その行動を相手が認知するから、相手があなたをやさしいと認識するのです


脳内にやさしい心を持っているのではなく。


脳内には、やさしいと言われる行動パターンが学習していくだけです。



だから、ある人にとってはやさしいと思われても、ある人にとっては、やさしいなどと思われないこともあるかと思います



このやさしいと言われている人が、どんなに考えて、どんな行動を選択しても、結局その行動の意味を決めるのは、行動しているその人ではなく、それを見る・やり取りする他人であることが分かります




では、この人はやさしい人=やさしい心を持っている人なのでしょうか?



もちろん、やさしい心と言われるような、脳の神経配列や組織化は、潜在的に持っていたり、幼い頃に学習されてきているのだとは思いますが、それが実質世界でやさしい心をもっているかと、判断される(=発現)かは、他人に依存していますね☆



だから、私は心というのは、脳の中だけにあるものではなく、その心が本来出てくるのは、他人や社会、いわゆる環境との関わりの中だと思っています






また、


「脳は、行動の後追いをする」と言われます




例えば、「かわいらしい声」を例に



かわいらしい声を出す女の子は、はじめに、かわいらしい声を出す感じや気持ちを知ったから、かわいらしい声を出せるようになったのでしょうか?



違いますよね!



かわいらしい声を何度も出していったからこそ、かわいらしい声を出す気持ちや心になっていくんだと思います



わかりづらいかもしれませんが




脳の中で、かわいらしい気持ちを持つってこんな感じだなってわかってから、声(運動)もかわいらしく出るようになるのではなく



かわいらしい声(運動)をだすようにしたから、脳はそんなかわいらしい気持ちを知っていく(認知)



これが、脳というのは、行動(運動)の後追いをするということです




そして、だんだんそれを予測していくのです




かわいらしい感じって、「こんな感じ」というのを、予測していければ


なんの違和感のない自然なかわいらしい声が出るのです




だから、認知が運動を生むわけではないと思っています



あくまでも、運動していく中で、その運動や行為に脳は自己組織的に適応していく



でも、認知次第で、その適応の速度を速めたり、よりよい適応の仕方になると思います



だから認知と運動は切り離せないと思っているのですが



つまり、先ほどの例で(例が悪いですが笑)


かわいらしい声を出すようになったきっかけは、きっと外界の他人がかわいらしい声を出していたのをうらやましいと感じ(外からの刺激を認知)、また自分もそうなりたい(内からの情動)と思ったから、そういう声を出すようになったかもしれません(例えばです)


つまり、外の環境の、かわいらしい声の模範を認知(ある意味ゴールを認知)し、


あとは、「そうなりたい」と思う内なる欲求が高ければ


実際に声を出し(経験)


なんか違うな~、彼氏あんまり喜んでないな~とか感じながら(何かを視標にして反応をみて、フィードバックしながら試行錯誤して)


あ!こんな感じか!とかわいらしい声を出す感じが分かる(無意識的にor意識的に。気付き。学習。)



そうすると、彼氏の前でも自然な感じで声が出せる(予測制御)



これが学習だと思います☆


(患者さんは、運動を繰り返すことは可能でも、認知や情動の部分で学習を阻害していることが多いと思います。だから私たちの手や言葉、人間性を生かして、患者さんの学習を助けてあげるのが、セラピストだと思っています。)



だから認知があって、運動があるのではないのですが、認知や情動は大切だと思っています











何が言いたいかと言いますと・・・




まずは行動してみることです!!




頭の中だけでは、自分の考えや気持ちというのは分かってきません!



なぜなら、いくら頭の中を探しても、自分の心というのは、環境と関わる中で生まれるものだからです


(もちろん考えることも大切です!思考と行動のバランスがたいせつですね☆)



行動して、外の環境と関わる中で、自分というのは形成されます




遺伝的要因は変えることができませんが、環境は変えることができます



そして環境次第で、自分も変わっていきます




きっと、みなさんも自分の性格を、嫌な部分とか、こんな性格を持っているとか少し分かっておられると思いますが



例えば、すぐイライラしやすく、すぐ愚痴を言ってしまう方が2人おられるとします



その2人は、遺伝的に、脳の神経結合具合的に、そういう行動をしやすい人なのかもしれません。



でも1人は、周りの環境が、すごい温厚な人ばかりで、愚痴はあまり言わない環境で



一方もう1人は、周りもみな愚痴を言う人ばかりの環境にいる



この2人では、きっと本来の性格(遺伝的に、脳的に持っている)が発現するかしないかは、環境に依存していると思います




つまり脳の中を見ていっても


一般の基準より、エネルギッシュな脳を持っていそうな方とか、感情表現にすぐれていそうな脳とか、はたまた犯罪を犯す可能性が高い脳など、ある程度分かってくる部分も多いかと思いますが



でもそれが、発現するかしないかは、他人・環境と関わる中での経験に依存しています




つまり、環境との相互作用の中で、心は生まれるので、脳の中だけを調べていっても、本来その人が持つ心には到達はできないかと思っています



その自分を構成するのに重要な環境は、自分で作っていけるものです!



生まれたばかりのころは難しいですが



今、ブログを読まれている方なら、周りの環境は自分で作っていけるはずです



物事を周りのせいにするのは、それは、間違いです



性格や家庭や経済面などいろいろな制限があるかと思いますが、周りの環境は自分でつくっていくことが大切です



だから、まずは何か1歩行動してみましょう!



行動しないと何もはじまりません!

私も行動していきたいと思います☆





以上でした!