9月10日
幸せになりたいのだと貴方は言う。
でも幸せなんていうのは結局のところ自身の経験によるもので、
相対的な物言いでしかないんだよ。
例えば。食うものに困っている紛争地域ではパン一切れを食べて幸せを感じる人もいる。
傍らで衣食住揃った人が不幸を嘆いている。
それが正しいだとか間違っているだとか、そういう事ではない。
幸せの度合いなんて初めからそういうものなのだ。
無論。今の現状に失望し不幸を嘆く気持ちはわからなくもないけれど、
そもそも自分が零落した理由を、他者、もしくは環境に転嫁する事が自体が誤りだ。
また、精神や考え方ってのは常に変動するものだから、仮に過酷な環境で自らが生きてきたとして、それはもう今存在している自分とは全くの別人と言えるのではないだろうか。
貴方がもし自分にすら失望しているようならば、それこそパスポートでも取って行きだけのチケットを買えば最短2週間くらいで、 いくらでも過酷な環境に身を置くことができる。
でもわざわざそんなことはしないだろう?
その時点でもうどうしようもないんだよ。
仮にどうこうすれば、って話にまるで意味はない。
実現する気のない、仮にこうすれば、っていう突拍子もない発想はただの逃避にしかならなんだ。
足掻きつつも生きていかなきゃならないのさ。
いまこの現実の下でね。