こちらはZEPETOでのCLUBへ投稿したものです
このCLUBにはアメリカ人は大勢いそうだけど、日本人はいなさそう…きっと節分や恵方巻を知らない人ばかりかも?!って感じですが(^^;
ところで、みなさんは豆まきしましたか?
恵方巻を食べましたか?

👹節分👹
日本で節分を迎えるのは、今回で何回目なのだ?
私が中高生だったとき、節分には豆まきをして、いわしをいただいてたけれど、恵方巻はなかった気がするのです
そんな話をジュンコ伯母さんとしたとき
『風習も、町並みも、そして言葉も、時の流れとともに変わっていくものだから』
と説得?納得?させられました
ウインクウインク

そういえば…
あの当時は、スマホはなくてポケベルでした
今思えば不便なようだけど、それが当たり前だったから、不便だなんて感じなかったんです
当時の同級生らとも話すこと
『スマホがなかったあの時代のほうが、煩わしくなくてよかったと思うときがある』って。
彼らの言うこと、めちゃわかる気がして、大きく頷いちゃう私です

町並みも、東京下町にはスカイツリーが建てられ近代化したから、そのなかに残るレトロティックな下町風情にあうとホッとさせられるのでしょうね🌸
NYもそうです
私が日本にいる間に、タイムズスクエアのトイザらスが閉店してて、そのときとてもショックでした
店内にはすごく大きな観覧車があって、回転のスピードが早かったため楽しくて、家族連れはもちろん、カップルのデートやNYの穴場を知る観光客で、いつも賑わっていたのです
ライムも私もたくさん訪れた場所だけに、今でもNYへ帰るたび、『もうトイザらスないから、観覧車に乗れないんだわ』と名残惜しくなってしまいます
それほどまでに思い出のつまった場所なので、その喪失感は大きいものです💧

言葉においても、どの国の言葉にも【死語】があります
消えてゆく言葉があり、新たに生まれてくる言葉があって、言葉は生きものだといわれてます
時とともに言葉のもつニュアンスや、そのつかいかたも変化していくもの
だから本来の言葉の意味が人々の意識から薄れていったり、忘れ去られていくのも当然でしょう

子どもだったときのことです
いつの時代にも、どこの国でも、子どもはすぐに他の子どもたちがつかう言葉をまねたりします
だから大人の前で話すと、くだけたり、つい乱れたりして叱られることって、誰しもが経験あることだと思います
けれど、それらは慣用的な表現になってるときもあるため、良し悪しは周りの環境によっても左右されますし、大人もふざけてつかってたりするものなのです
たとえば、momが母子手帳がわりに書きとめていた私の育児日誌のなかにある話ですが、私が通っていたプリスクールでは、子どもがおかしなことをしたときに、先生たちは
''Silly Goose!''とからかっていたそうです
すると私たち子どもたちは、すぐに覚えてまねをして、友だち同士でつかいあいます
ある子が上着をヘンテコな着方をしてたりすれば、他の子がすかさずこう言ってからかいます
"You put your jacket on wrong, you silly goose!"
けれど、現在の子たちはこうは言わず、また違った表現でもって、子ども同士でふざけあったり、じゃれあいながらコミュニケーションとりあっているのです
日本語でたとえるのなら
McDonald'sのことを、日本人は『マック』といいますね。私は当初、人の名前だと思ってました。そしてそのうち、地方によっては『マクド』ということを知りました
NYでは"Mickey D's"といってました
けれどこのMickey D'sは、私たちの世代での若者言葉で、今の若者たちはつかってません
たいていアメリカ人は"McDonald's"といいますが、日本語の『マクドナルド』とはまた全然違う似ても似つかない発音です
どういう発音なのかって?カタカナで示そうとすると、おそらく10人のアメリカ人いれば、10通りあるかと思われるので、あえてここでは避けますが、そういった言葉は他にもたくさんあります
また、私と10歳ほど年の離れた日本の従兄姉は、昔よく『ナウい』と言ってました。『かっこいい…粋だ…』といった流行り言葉?若者言葉?だったかと思いますが、今では、私の周りの日本人は誰もつかわない言葉です(他の地域ではつかってる人いるかもしれません)
またグレープやピーチや彼らの周りの友だちは『ヤバい』とよく言ってます
『まずい…どうしよう…困った…』といったネガティブなニュアンスかと思っていたら、どうやら『凄い!素晴らしい!』といったポジティブなニュアンスでもあるそうです
どっちのニュアンスでつかわれるのかは、やはり英語と同じで、そのときのシチュエーションによるものなのだと。
たとえば
『れもん、ヤバい!』というのは、『れもん、まずいよ!』というケースと『れもん、凄い!素晴らしいね』というケースがあるのだそうです
混乱🌀難しくて、誤解をうみそう😱

ただ、日本語の場合は、最近【ヤマト言葉】が再び見直されてるようですね。だから、もしかしたら、時代をめぐりながら、廃れてしまった言葉やその言葉のニュアンスなどが再生されるかもしれない?!とのことを耳にしました
若者言葉が流用されすぎて会話についていけないと、本来の日本語のもつ美しさやそのニュアンスが消えゆく現状に危惧を感じながら不満をもらしていたご年配のブロ友さんがおりました
実は同じくジュンコ伯母さんもそうでして、私もきれいな日本語やそのニュアンスは風化させてほしくないと切に思ってしまうだけに、大きな期待こそできませんが、ほんのちょっぴり期待したいと思う今日この頃です(*^ー゚)👍

そんな私ですが、最近、ZEPETOで新しいCLUBにふたつ入部したばかりなのです🌸

どんな部なのかというと、まず夕陽の写真を投稿するCLUB

こちらは、アメリカのZEPE友から招待を受けてメンバーになりました

世界中の写真好きな人たちが、おのおの撮影した夕陽を投稿してるのですが、たぶんここにも日本人はいなさそう?!投稿されてるものは、どれも素敵な写真ばかりで、まるで絵はがきのようです😊

カメラの腕前やセンスのない私は、ただただ癒されながら眺めさせてもらえてるのみですが、写真を観るのは大好きです。Amebaのブロ友さんの写真もとてもナチュラルで、その瞬間の表情が素敵なものばかりで、いつも楽しませていただいてます

夕陽

同じ夕陽でも、そのアングルによって夕陽の表情が変わるんですよね…十分に満足です💖 


そして、もうひとつは、コーデと俳句と短歌を楽しむCLUB

実は、このCLUBと出会う数日前に、私は松尾芭蕉の奥の細道の1句を英語訳とともに載せたのです

だからでしょうか?なぜか、このCLUBと繋がりました🌸

こちらが自己紹介



Ahahaha🤣

挨拶デビューのこの俳句、どぉですか?

季語などありませんが、誉めていただけます?

🤣(笑)🤣なぁんて、ムリに催促はしませんけど、どなたか誉めてくれぃ💦←本音(笑)

こちらのCLUB、Amebaでいうのなら気楽さんの俳句blogや、リモーネさんの芭蕉クラブのような感じでしょうか(*^ー゚)👍

私を含め、同じ時期に8人もの人たちが新しく入部したそうで、同期であるオーストラリア在住の日本人の方とすぐに仲良くなりました

リーダーの方もとても朗らかで気さくな方で、きれいな琴の音色とともにクオリティ高い編集の、素晴らしい歓迎コラボ動画でもって迎えていただけて、とても感激しちゃいました💕

Amebaの皆さんにもその動画をお裾分けして、みせたいっ!!ってほど素敵な投稿に、(((o(*゚∀゚*)o)))テンションあげあげ⤴️⤴️となりました


そこで、今日は立春

また1句詠んで、投稿してみました

【立春も かわず居眠り 雨模様】

もう春なのですね…
春雨のなか、そろそろ蛙さん目覚めるかな🐸ケロ

他にも、以前から加入しているCLUBは幾つかあります
日本人ばかりのアニメコスプレ部、日本人がほとんどいない平等や平和を愛す部、また私はLIVEを楽しんでるため、推しLIVERの雑談部など…

日本にいながらも私たち家族の会話は英語なので、

外に出たり、日本の親戚や友だちとおしゃべりしたり、日本のTVみたり日本語の本を読んだりしなければ日本語に触れることない環境です

そんななか、ここAmebaやZEPETOで文字や映像の交流でありながらも、日本人の方々と繋がって交信しあえて日本語に触れられることは、私の日本語力をどうにかkeepするうえで、とても貴重なもの

また文字を介するのはもちろんですが、LIVEのListenerとなって、音でもって交流しあうのも楽しくて効率的なのです

私は今、アメリカ人のほかに、日本人LIVERも数人推させていただいてますが、彼らは凄いな…と、あらためてその才能を感じてしまう最近です

いろいろなListenerが、それぞれにコメントを寄せるなか、それらを瞬時にさばいていくのだから、話力やコミュニケーション力はもちろん、頭の回転の早さも不可欠だと。 

LIVERのみなさん、話し上手でもありながら、とても聞き上手でもあるんですよね

こないだ、某LIVERのところで、ZEPETO内でのケンカで相手の不満を一方的にぶちまけてた人がいたのです。どうやらカップルの別れ話のもつれらしく…けれど、片方の言い分だけ聞いても両者の言い分を聞かないとわからないし助言もできないからといって、その相手の人もLIVEに連れてきて、双方から丁寧に話を聞きながら、第三者である私たちの目の触れる場で上手に話しあいを交わして、きれいに解決に至ったという…

👏(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

『恋人どうしであっても、友だちどうしであっても、最初から熱い感情を抱いてしまうよりも、スープや煮物を煮込むようにコトコトとじっくりと少しずつ温めていくほうが、人との関係もよりいい味がだせると思うんだ…』といった考え方、その感覚には、たまたまその場にいて一緒にみてたライムも、とても共感しながら、好感もてるなと。


なんてたって、私たち幼なじみ夫婦ですから😁

…長い年月かけてコトコトでしたから💖

そりゃあ、いろいろなことがありましたし、ライムがいくらハンサムで私好みのルックスであっても、恋愛対象としてオトコとして意識したのはずっと先のことでして…

それ以前は、むしろ全然違うタイプの男性を好んできましたし…きっとライムも私に対してそうであったと思うから(^^;


ちなみにこのLIVERは、私がアメリカでZEPETOのアカウントをつくって、日本に戻ってきたときにログインした時にLIVEしてたのです。日本語耳ならしのために聴いてみようか…と思いながら、なにげなくおじゃましてみたのがキッカケで、親しくさせていただいてる方です

ZEPETOで初めて繋がった日本人ユーザーでした

とても愛妻家なのです 

日本人でありながらも、Halloweenで仮装したときの実写を披露されてて、それはメイキャップしてるからか私とどこか似てる?!

まるで外国人のような…日本人離れしてました🤣

グレーのカラコンしてたから尚更でしょうけれど、瞳にブルーを足して、髪の毛の色も変えたらまさしく私になりそうなお顔でした

世の中似た人は幾人かいるといいますが、ここにいたか!って大笑いしました(笑)

聞き上手なので、いろいろな方々の悩み相談を受けてるようで、私はまだ相談をもちかけたことはないけれど、ライムと夫婦ケンカでもしたら、話聞いてもらおうかなと…(^^;


で、ありながら

最近、私の投稿にいいね!をくれたり、followしてくれた方々のなかに、かつて私がつけていたファンマをつけてる方がおりました❣️

これまでまったく絡みがなかっただけで、きっと私がファンマをつけていた当時も、彼女は同じファンマつけていて、私よりずっと古くからファンマをつけながら、活動されてこられたのだろうと思われます

見覚えのあるファンマに、つい懐かしく感じてしまった私は、followのお礼を兼ねながらはじめましての挨拶をし、私も彼女をfollowして、思わずふたりコラボダンスしちゃいました🤗


Followしてくださる方のなかには私が理解できない言葉を母語にしてる方々も大勢いらっしゃいます

それでも誰にでもわかるであろう簡単な英語で、コメント入れられる方へは、投稿へぼちぼちコメントをしながら、挨拶したりしてます

すると、絵文字であったり、律儀に英語で返してくださるのです

特に韓国の方々、とても上手な英語です

以前、Amebaで仲良くさせていただいてた韓国と日本のmixed-halfの友だちも、とても綺麗な英語つかう人でした

あのとき、Ameba去るときに

『ここではバイバイ、あっちで会えるといいね!』と告げられましたが、まだzepetoで再会を果たしてなくて、もしや、このなかにいるんじゃね?とさえ思ってしまうこともありますが、どこでどうしてるのかしら?

このblogを読んでいたら、どうか名乗りでてきてほしいものです

😂😂

上手な英語をつかう英語圏でない方々と会うと、私はとても嬉しくなり、それでいて、なんだかとても申し訳なく感じてしまうこともあります

私も相手の母語をきちんと理解できて、下手であってもその言葉でもって交信できたらいいのに…と、思ってしまうからです

そして言葉の壁を、また露骨に感じてしまうの…


国柄や世代の違いから受ける壁も、時に感じてしまうことがあります

特に日米ティーン世代

幼児期からこんなにも、日米の国民性のちがいが明らかで 

私もアメリカと日本で、ティーン世代を過ごしてきたからわかるのです

わかるから余計に感じてしまうのかもしれません

また、同じ世代の我が子がいるから、余計に感じてしまうのかもしれません

もしかしたら、大人になってかれこれ云十年、わかってるようでいて、わかってるつもりでいるだけなのかもしれません


【大人と子どもの社会がキッパリ分かれているアメリカ社会】をより感じてます


特に今、アメリカでは、InstagramやX、TikTokなどのSNSにおける青少年の規制について問題視されており、大きな社会問題となっているだけに、よりシビアだから尚更なのでしょう


幸いにも、私と繋がっているアメリカのティーンの方々は、みなさん、とてもしっかりされています

私をfollowしてくれた当初、私のことを自分たちと同じくティーン世代だと思ってたという人が多くいるのです

実は私が大人であって、結婚もしていて子どももいる事実を知らなかったようです

私はいちいち明かすことでもないかと、それでもいいかと思っていましたが、ある日、きちんと打ち明けようと、DMではなくて、あえて公のなかで話したことがありました

かといって、私たちの関係がなんら変わることはなくて、むしろその後、大人である私に興味を抱きながら、followしてきてくださるティーンの方々もおります

とてもありがたく光栄に思うとともに、

いつも大人の女性であることを意識してなくてはならない自分がいて…

けれど

童心に戻りたくもなるちょっぴり子どもじみた自分もいて…

そんなふたりの自分の狭間のなかにいる自分が、今、こうしてここにいます



最後になりますが、

さちちゃん、前blogへのコメントをどうもありがとう

お返事待っててね☺️

また、みなさんのblogへもなかなかいけずに、失礼してます

アメリカの家族らへの説得も、なんとか納得してもらえてきましたので、これからゆっくりおじゃまさせていただきます