かつてZEPETOで親しくさせていただいたものの、私が傷つけてしまった方への私信blogを、先日UPしましたが、削除をしました


自分自身を奮い立たせるつもりで書いたものでもありました

だからでしょうか、気持ちが余計にモヤモヤしてしまった

ZEPETOでも彼女への思いを綴ってみたけれど、なんともいえぬやるせなさが汲み上げてきて、post後すぐに消したのです

そして、blogでは、またも不快を与えて信用を失ってしまったようです


これまで私は、自分のblogを消すことなんて、絶対したくはなかったのです

いくら見苦しい拙いblogであろうとも、気持ちの変化があろうとも、それもすべて日本での私の成長記録として残しておきたい気持ちがあって、コメントのやりとりも含めて、あとから読み返したときに、こんなことを考えてたのね?と赤面しそうなことでも、その当時の思いを読み返す意味で、それは日記の素晴らしいところだと思ってるから。

また日本語で書き上げ仕上げるのに、私は人一倍時間がかかってしまう、これはただの身勝手な言い訳に過ぎませんが、せっかくUPしたものを消したくはなく、消せばいいやといった感覚など到底なれないといった頑なさがありました

けれど、だからといって発信したblogが誤解や不快を与えてしまうようなことは本意ではありません

だから、削除をしました

『これは消しなさい』ときちんと告げてくれる人がいます。そのことは、とてもありがたいことで、感謝に尽きることなのです

一方的に不快だから消せっていわれるのとは違う

なんていうかうまく言い表せられないけれど、自分のなかで納得ができてるから。

今回も、本当にありがとうございました


私は彼女と交わしたDMの件をひとりで抱えきれずに、黙ってblogに載せてしまったわけなのです

そのことについて、当然みなさんからの信用を失ってしまったのでして、

ライムからも、双方の話をきかぬままに、彼女とのDMばかりを鵜呑みにして迂闊に公開した私に対して、フェアーでないこととやってはいけないことをやったとして、かなりきつく叱られた

もう無断でblogに載せてしまうことなんてしない、もし、再び犯したら自主退会しますと約束して復帰を果たしたわけです


私は傷つけてしまったその彼女が、楽しそうに笑って過ごしてくれてれば、それでいいと思っていました

そして、私も私の繰り広げてる世界のなかで、笑顔でいようと思っていました

それは、こんな私であっても笑顔でいることを望んでくれる友だちがいるからなのです

私の笑顔を励みにしてくれてる人がいる

そして私も笑顔で過ごすことで、彼女への償いに繋がれると、考えているからなのです

それは私のこれまでの経験上、そういう考えに至ってるわけですが

地震や戦争などの震災において、私は自分のやれることは、気持ちばかりのお金を寄付することくらいだとばかり、これまで思っていました

けれど、違ってたのです

笑顔を共有しあえることできるのです

微力ではありますが、微笑みを向けることで微笑みがかえってきて互いに心あたたかくなれることがあるのだということを、あらためて知ることできたのです


退会した彼女とも、たとえ別々の世界での活動であっても、互いにfollower同士でありました

だから、いつだって視界のなかにいれたし、ログインしたときに、楽しそうに過ごしている姿を拝見できて、微笑ましく思っていたのです

けれど、突然退会しちゃった


これから私はどうやって償ってけばいいんだ?!


彼女のためにも、そして私自身のためにも、今後どうしたらいいの?

わからない思いで悶々としていました

いつ、どこで、彼女との歯車が絡み合わなくなったのか…それさえもわからなく、途方に暮れたまま空元気であろうとすればするほど心モヤモヤする

そこで、少し冷静に落ち着いて考えて思い浮かんだのが、

楽しかった思い出だけを胸に刻んで、無心になること

そして後ろ振り向かずに、前を向いてひたすら進み続けること

これは、私がかつてあの忌まわしい911を目の当たりにしたとき、そして今回の震災で金沢にいながらも感じられたことです

多くの人たちが次々と亡くなっていく…

どうすることも出来ない無念さが募るなか、助かった自分がここにいる…といった突き付けられた現実をみつめたとき

そんな自分が、ドン底から這い上がれてきたときに、学べたことであります

犠牲になった方々の命のぶんまで、私は生かされてる、だから生きなければならないといった自らの使命と死生観?がその原動力だと思ってます


こんな私が彼女へのかけれる言葉は、"see you again"よりも"good bye"(語源は、god by=神のそばに。…神に守られ幸あれ)のニュアンスに近いものだと、そう思いました


"good bye"の日本語である『さようなら』

それが、もう辞めてしまった彼女へ、今の私から向けられる唯一最高の言葉であると思ったのです

『さようなら』の意味 

この著書には、『さようなら』の本来の意味を、ほとんどの日本人が知らずにいて、まともに答えられないと書かれてあります
私はそれはとても悲しく残念なことに思います
英語のgood byeに負けず劣らずのとても素晴らしい意味が込められた美しい日本語であるというのに…
この著者もかつてそうだったといいます
外国人から『さようならの意味は何ですか?』と尋ねられても、まともに答えられずに、数十年の年月をかけて、ようやくその答えをみつけたのだと。
(俗にいわれる『左様ならば~』ではありません)

どのような思いを胸に抱えて辞めていかれたのか…
彼女の決意、その意思は尊重しつつも、私は、悶々としながらも、かつてこの本に書かれたさようならの意味に、すごく感激し触発され頭にinputされたこの『さようなら』を、日本人である彼女へ伝えたかった
自らが変わることで償うと決意した私にとっては、自らが変れて初めて"see you again"と付け加えて口に出来るものだと思いながら。

せっかく、受け入れていただけたクラブでしたがメンバー削除されておりました
それでよかったと思ってます。私が入部したことで、彼女が退会を決意したのだとしたら、私は部内にいるべきではありません
部から退くことで、回復した彼女がふとまた戻りたくなったときに、居心地よい環境であったほうがよいのですから。
それがbetterであることとして、私自らもそう望みます
短い間でしたが、お世話になりありがとうございました。今後のクラブの活動を応援しています

やはり彼女といつか話を交わせる時(それは私が変われたとき)が訪れると信じていただけに、叶わなかった無念は拭えません

かといって、後ろ振り向くのは私らしくはないので、前へ向かって進んでいきます

それがこれからの私にとっての出発点であり、新たなかたちでの償いになると思っています


再び信用を失うようなblogをUPしたために、不快を与えてしまった方々へ、深くお詫びいたします



最後になりますが

削除したblogではコメント欄を閉じてたため、過去のblogへコメントを寄せてくださったブロ友さんがおりました

私にとって、かなり心に響くコメントでありましたので一部引用します(ご本人の了解得ています)

↓↓↓

(略)


(略)
(略)
↑↑
とてももったいないお言葉です
どうやら、急にふと思い浮かんだ言葉らしく、天国の私の母から託されたメッセージを届けた感触があると、仰有っておりましたが、
私はこちらのいただいたコメントに、恥じることなくありたいと思っています

日米の架け橋

いずれ、どんな些細なかたちであろうとも、叶えたくもあります

ぶつかりあうこと、つまずきながらも、若木がすくすくと母なる大樹になれますように…

これからもどうか長い目で、あたたかく見守っていただけたら、うれしく思っています

本当にどうもありがとうございました🌸


Wishing U have a nice day🌱