『武士』という言葉からイメージするものは…?

ちょんまげ

日本刀

チャンバラ

鎧兜

切腹

どれもあまりに独特すぎて、日本固有のものだといいつつも、世界のなかでは突拍子もなく珍しいものであると思います

武士と呼ばれる人たちが日本に現れるようになったのは遡ること鎌倉時代あたりでしょうか…

平清盛によって討たれた父の仇を果たすために、平家を滅ぼすといった同じ目的をもっていた源氏である頼朝と義経

ふたりの兄弟不仲から義経が討たれてしまう悲運な結末

いざ戦となれば血を分けた親子兄弟であれど情け容赦なく、勝者は栄え敗者は滅び散る…

そんな無情な野蛮さを感じつつも、そこに確固たる潔さと強いポリシーを私は感じていました


そんな私が

【Bushido(武士道)】

新渡戸稲造さんによる【The Soul of Japan】(英語版原書)を完読しました

Grandpaの書棚のなかに色褪せたとても古びた本がありました
亡くなる前に彼はこの一冊を兄へ手渡すと
『大切にしてほしい』とひとこと言ったそうです
そうだったのね… 
兄とGrandpaのこのエピソードを、先日初めて兄から知らされました

私は、この本の存在は知ってましたが、アメリカのルーズベルト大統領やエジソンまでもが感銘を受けたり、世界的にベストセラーとなったほど有名な本だということまでは恥ずかしながら知らずして、これまで生きてきました
稲造氏について興味を抱くこともなく詳しくわかってなかったため、この書物を目にしても手にしたことは、これまでなかったのです

早速この本を読んだというリモーネさんが

『この著者は新渡戸稲造の影響を受けてるかなとも思えてきて…』と、私にすすめてくれたからなのです

ニコニコニコニコ

読み終えてみて、なるほど❣️境野さんも子どもたちに学問を教えてる教育者であるから、もしかしたら新渡戸稲造さんの本を手にしたことがあるのでしょう…と、節々で私も感じられました
そして、もっと早くに目にしておきたかったと深く省みながら、これまで大きな誤解・勘違いをしてた私自身についても気づかされました

About ten years ago, while spending a few days under the hospitable roof of the distinguished Belgian jurist, the lamented M.de Laveleye, our rambles to the subject of religion.
''Do you mean to say,'' asked the venerable professor, ''that you have no religious instruction in your schools?''
On my replying in the negative, he suddenly halted in astonishment, and in a voice whiich I shall not easily forget, he repeated ''No religion! How do you impart moral education?''
The question stunned me at the time.
I could give no ready answer, for the moral precepts I learned in my childhood days were not given in shools;and not until I began to analyse the different elements that formed my  notions  of  right and wrong, did I find that it was Bushido that breathed them into my nostrils.
The direct inception of this little book in due to the frequent queries put by my wife as to the reasons why such and such ideas and customs prevail in
Japan.
  
プロローグを一部引用しました
ここには稲造氏が本を出版したキッカケが綴られてます

初版が1899年
ちょうど今から123年も昔のことで、日清戦争後4年経ち、日露戦争始まる5年前です
戦争に勝利をおさめた当時の日本は、諸外国の人々からとても強い国と思われていたことでしょう

小さい国ながら、なぜこんなにも強いのか?
日本の強さはいったい何なのか?
と不思議がられ、時にネガティブな思惑でもって妬まれたり脅威とされていたことを、かつて私が子どもであった頃に耳にしたことがありました

ベルギーの法学者であるラブレー氏のお宅に稲造氏が招かれて数日お世話になったとき、散歩中に宗教の話題になったそうです
ラブレー氏はこう言いました
『つまり、あなたのお国の学校では宗教の教育をしないということですか?』と。
稲造氏はそのとおりだと応えると、ラブレー氏は驚いて立ち止まり
『宗教教育をしないって?!それでどうやって道徳教育を行うというのですか?』
こう尋ねられ、今度は稲造氏がとても驚いてしまい即答することが出来なかったといいます
またアメリカ人の奥様であるメアリーからも
『なぜ日本ではそういう考え方や習慣が一般的なの?』
事あるごとに尋ねられたため、どのように応えたらよいものかと彼なりに模索していた様子がうかがえます
稲造氏が子どもの頃に学んだ道徳とは、学校で教えられたものではなかったからでしょう
そして彼なりに善悪の区別をする基準となっているものをよく思いめぐらせてみながら、自らが物事の判断基準を築いていったのは、武家で育った子ども時代に習得した武士道であることに気づき、そこから紐解くように見出していったのです
当時応えに詰まったその答えをアメリカ人をはじめ諸外国の人々にどうにか理解してもらおうと英語で綴り、アメリカで発刊したのです

本文には現在では使われてないフレーズや言い回しが見られ、私であれスムーズに読めない箇所が幾つかありました
時折、辞書を片手にしながら読みすすめていきました
123年前も昔に書かれたものなので当然のことでありますが、その内容に感銘したのはもちろんのこと、当時これだけの英文を書き綴れた日本人がいたということに、私は強く驚かされ、そしてとても光栄に誇りに感じています

かつて5000円札のモデルとなった新渡戸稲造氏
私は彼について詳しいことは知らなかったので、ちょこっと調べてみましたら
偶然にも、前回とりあげた小林多喜二氏と同じ時代を生き、共に東北出身
また同じ1933年に生涯を閉じてることがわかりました
ただ多喜二氏は明治時代生まれ、稲造氏は江戸時代生まれ
多喜二氏は貧しい境遇であったけれど、稲造氏は裕福であり、奇遇にもふたりの母の名前はセキ
そして境遇こそ違えど共通項は、たとえ自己犠牲を伴っても平等・平和を唱える思想の持ち主であったいうこと…
なんとも不思議なご縁を感じました

先入観かもしれませんが、日本人はおとなしくて、とても礼儀正しい国民性だと私は思うのです
その道徳性はいったいどこから来てるのでしょうか?キリスト教でもって道徳を教えている欧米人ならば当然誰もが不思議に思うはずです
稲造氏はキリスト教徒として、欧米の学問も学びました
そして国際人として、欧米の文化にも通じていました
そんななか、日本人の心の基盤は【武士道】だといっています

???┐('~`;)┌???
私は少しばかり理解に苦しみながら読みすすめた時もあります
なぜなら、日本人のルーツは武士がすべてではないでしょう
公家もいれば商人もいれば農民もいれば…いろいろな人たちがいるなか、世代交代を繰り返してきたのですから、日本人の心の基盤として大きく括ってしまうはいかがなものかしら?
稲造氏は武士の子どもとして、武家ならではの教育をされながら育ったとしても、武士の子どもでなければ武士道を教わるとは限らないですよね?
と、屁理屈なことを感じたからです

でも、そんな疑念も次第に砕けていきました
【武士道】といえど、この精神は、立場や身分の違いを越えた共通項であり平等な【道】なのだと思えるのです

稲造氏は盛岡南部藩の武士の子どもとして生まれました
幕末の戦いで敗れた幕府側出身だったため、どうにか士気をあげながらリベンジをはかるためにも、欧米の学問を修めようと考え努力をします
また明治天皇が東北行幸のときに生家に立ち寄ったことで、父親や祖父が十和田湖の開発に力添えをしました
そのため、北海道開拓のために設立された札幌農学校へ進学しました
東京大学にも進学しますが、彼からしたらどうもしっくりせず期待外れだったようでわずか1年で途中退学しアメリカそしてドイツへ留学します
帰国後は、札幌農学校教授、京都大学教授、第一高等学校長、東京女子大学初代学長などを歴任して、国際連盟事務局次長をも務め、日本提案の【人種平等案可決】に尽力しました
アメリカ留学、またアメリカ人女性との結婚で、稲造氏自身も差別を感じたときがあったのでしょう
自ら、必死に人種差別と戦ったのです
けれど、Johns Hopkins university時代の同級生であるT.Wilsonの卑劣な画策によって、この法案は闇に葬り去られてしまいました

どんなにか悔しかったことでしょう

後にこれが、アメリカと日本の戦争の一因ともなったといわれ伝えられてますが、私としては当然ここはT.Wilsonに嫌悪感を抱いてしまいます
彼は国際連盟の創設に尽力したとしてノーベル平和賞を受賞しています
D.Trumpのように、まるでとてもいい人であるかのように装って…?!
現に2020年にJohns Hopkins universityでは人種差別反対の意のもとにT.Wilsonの名のつく大学機関や施設において、その名をすべて外しています
このことからもわかるように、彼はもともと人種差別格差を推進し先導してたような人であって、そのような政策を施してきました
なので、稲造氏の主張する日本側の【人種平等案】など到底認めたくなどなかったのでしょう

新渡戸稲造氏は、それでも昭和天皇からアメリカとの戦争をどうにか回避するよう尽力してほしいと相談を受けていたといいます
そしてその天皇の思いに応えるべく平等と平和と反戦を唱え続けていたのです
そのために当時の日本軍部からは厄介者扱いされたり、アメリカからは裏切り者扱いされたともいいます
それでも戦争回避を自らに託して相談をもちかけてきた昭和天皇のことを『立派な方』として尊敬し、たとえ自分が周囲から何と言われようと、日本のために国際人としてあるべく姿勢を貫いていたことがわかります

そこで、私は自分の大きな勘違いに気づかされたのです

昭和天皇は戦犯だ?!
『天皇陛下万歳』と口にしながら、かつて多くの日本軍兵士や国民が犠牲になったこと
昭和天皇がもっと早く降伏意思を明らかにすれば、原爆投下だって免れたはずなのに… 

『原爆投下はやむを得えないことと私は思っています』といった驚愕な発言をのこしてることから、私は彼へ対する失意を覚えていたのですが、昭和天皇は初めからあの戦争に反対していたということだったのですね…
そんな勘違いと共に、この著書を通じて私がとても驚かされたことがあります
それは稲造氏が天皇について述べていることです
第2章より一部引用します

If what M.Boutmy says is true of English royaly-that it ''is not only the image of authority, but the author and symbol of national unity,'' as I believe it to be, doubly and trebly may this be affirmed of royalty in Japan.

なにかで目にしたことがあります
国民からみて天皇ほど尊い存在はなく、天皇からみて国民ほど貴いものはないと。

稲造氏のこの綴りのなかの
フランスの教育者であるブートミー氏がイギリス王室について『それは単に権威のイメージでなく、国民を統合における創始者であり象徴である』と言ってることが真実ならば、日本の皇室については2倍も3倍も強調すべきだと思いますといったこのフレーズから、天皇のあり方における彼の客観的な考え方にとても共鳴すると共に、日本国憲法の第1条【天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴】というものに、この主張がそのまま活かされていることに気づかされたのです

『日本国憲法は敗戦によってアメリカから押しつけられた憲法であり、日本独自の憲法ではないから』
かつて、このようなネガティブなことを仰有る日本人がいました
けれど、そうじゃありませんよね
日本の偉人である新渡戸稲造氏の視点でもって綴られたその思想が多くのアメリカ人を唸らせた結果として、戦後の日本の憲法としてこうして生かされているのだと私は解釈し喜びを感じています

17章にもわたる長文の本です
驚きと感銘を受けたのはこればかりではありません
今後、私なりの感想をのんびりご紹介できたらいいかと思っています

最後になりましたが

『新渡戸稲造の思想は、今の時代の世の中に必要』
上田プロデューサーというお方の、この言葉に私も強く賛同しています
どうか映画【新渡戸の夢】が成功しますように…心からお祈りします🌸
挿し枝で育てたカランコエ

Wishing U have a nice day.🌱
See ya👋(^ー^)