私が2004年からセラピーを受けてきて思うことがあります。

それは、セラピーの良さは、「技術だけでは決まらない」ということです。

 

セラピーは、基礎と練習と理論の3つが重要だと思います。

 

どれだけ経験を積んだセラピストさんも、ちゃんとした理論を押さえていない方は成長に限界があります。

また、どれだけすごい資格を持ったセラピストさんも、実践を積み重ねた方には及ばないことが多々あります。

 

この両者のバランスを絶妙にとらないといけないのがセラピーの難しいところですが、理論を習得されていないセラピストさんが多く、サロンのトレーニングに頼っているケースが多々あります。

 

ただ、理論と実践は、時間と労力をかければ習得することができます。

一方、いかなる努力でも身に着けることができないものがあります。

それは、真心です。

 

真心はそのセラピストさんの人間性によるところが大きいため、後天的に身に着けることが難しいです。

セラピストさんはやさしく純粋な方が多いですが、真心のありかたは人によって異なり、だからこそクライアントとの相性が生じます。

 

かくいう私も、「このセラピーさんとは本当に波長があうから、ずっとこの人にお願いしたいな」と思う方がいらっしゃいます。

今まで、最初に触れられただけで、あまりに癒され涙が出たことがありました。

 

私は一部の例外を除くと、モニターでしか施術したことがありません。

モニターは「勝手知ったる友達」というのを差し引いても、私に癒されて泣いたという方はいらっしゃいません。

 

ここを一種のバロメーターとしたならば、私のセラピーは相当未熟だと思います。

(実際、相当未熟です)

 

もう一つ、後天的に身に着けるものが難しいものがあります。

それは、天性のひらめきです。

 

たとえば、音楽と手技や、音叉とイヤーキャンドルなど、なんらかのコンセプトを持っているセラピーがあったとします。

 

私は一度受けただけで、どういうコンセプトや世界観でそのセラピーが組み立てられており、どの工程にどのような意味があるのかが、だいたいわかるので、多くのセラピストさんから驚かれます。

また、自分が施術する際にも、今この瞬間を感じ取って、どうするかを導き出すのも比較的得意としています。

 

では、どのようなセラピーが良いセラピーなのか?

それはクライアントが求めているものを与えられるセラピーが良いセラピーだと思います。

クライアントは、人によって求めているものが違います。

日によって、時間によってすら求めているものが違います。

 

しかし、クライアントが普遍的に求めているのは、疲れた体を休めたいという願望と、癒されたいという願望です。

さらに、受け入れてほしいという願望や、理解されたいという願望を持っています。

 

セラピストにとって、これらに応えるのは実はかなり難しいことですが、これを天性のひらめきで感じ取れる人もいれば、常に真心で解決する人もいます。

つまり、セラピーの世界に絶対的正解はない。

 

確実に言えるのは、いくら手技をたくさん覚えても、いくら技術を学んでも、クライアントに伝わらなければ価値がないということです。

200種類の手技を習得するよりも、基本に忠実に真心を込めて施術したセラピーの方が素晴らしい。

 

そして、そのようなセラピーを受けたクライアントは、心と体が軽くなり、人生の歯車がよりよい方向へ向かいます。

セラピーとは人を救うものであり、人の人生をよりよくするものであり、それに携わるセラピストとは職業ではなく生き方そのものです。

 

だからこそ、誰かの人生をよりよくするセラピーの施術には、私は全身全霊で全てを捧げます。

自分とともにセラピーという時間を共有している人に寄り添い、今この瞬間に集中するからです。

 

結果として、その人が生きる希望や自己肯定や、心の苦しみを取り除くことができたならば、セラピスト冥利につきます。

クライアントの人生をよりよくするのは、必ずしも技術ではない。

だからセラピーは、天性の素質と、一生かけて習得していくものと、両輪でできているものなのだと思います。

 

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(写真は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが1957年7月に出会ったリバプールの教会です。もし、この二人の天才が同じバンドで車の両輪のごとく刺激しあわなければ、ビートルズという最高のバンドは生まれなかったでしょう。パズルの一ピースのように、色々な偶然と才能が化学反応を生み出して、人生は続いていく)