私が研究者として、文学という学問に従事していて、「文学は誰のものか」と思うことがあります。

私の答えは明確で、老若男女を問わず、万人のものです。

 

文学部や大学院の文学研究科の生徒は、かなり女性が多いです。

「文学部は就職に不利だから、男性は文学に入ってはいけない」という一昔前の都市伝説は終わったとして、それでも男女比は依然として女性の比率が高いのが実態です。

 

しかし、これから先、ジェンダーフリーに進む社会において、「文学を学ぶなんて女のやること」という考えは、風化していくでしょう。

逆に言えば、文学を学ぶ男性が奇異に見られることも、やがてなくなるでしょう。

 

そもそそも、文学を書いた作家は歴史的には圧倒的に男性の方が多いです。

サッフォーやジェイン・オースティンやブロンテ姉妹のような例外はいるものの、男性作家が多かったのは、女性に社会的活躍の場や、執筆や発表の場が与えられてこなかった歴史的背景があります。

また、学会の重鎮と言われている先生方は、男性の方が多いです。

これは男性偏重が今も続いているということですが、やがてはこれもなくなることでしょう。

 

さて、19世紀末の貨幣価値と本の価格を調べてみたところ、童話一冊が下層階級の年収くらいの価格だったそうです。

そう考えると、文学が上流階級の娯楽であったり、インテリのたしなみであった時代はほんの一昔前まで続いており、庶民のものではなかったのです。

 

やがて本の価格が下がり、「子どもに読んで欲しいと思う本」を大人が買い与えられるような世の中になってきたというわけです。

 

私は大学受験浪人のときから、文学を研究したいと考えていたため、文学に対する男性・女性の区別はもともとしていませんでした。

そして、イギリスのニールズヤードレメディーズでスーザン・カーティスさんと出会った時、「ジェンダーフリー」という概念をスーザンさんが教えてくれました。

 

スーザンさんと出会ってから16年経ちましたが、ジェンダーフリーという思潮は世界的に一層進んでいくでしょう。

アロマの世界でジェンダーフリーが日本に定着するのは、自分が生きている間は無理だと諦めました。

しかし、50年も前からジェンダーフリーだったエサレンはやはりすごいと思います。

 

私がアロマをやめて、エサレンを選択をしたのも、これが最大の理由です。

自分らしく、どこまでも自由で、心地よいエサレンが好きです。

 

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(写真は、J. K. ローリングが『ハリー・ポッター』を初めて書い場所と、日本人に信じられているカフェです。しかし、これは「文学あるある」の都市伝説で、ここから少し離れた場所にあるカフェが、ローリングが初めて書いた場所で、このカフェは実は2番目に書いた場所です。「ここはオーダーしても食事がなかなかこないから執筆がはかどる」とローリングがトイレに落書きをしているのが、イギリス的なユーモアで好きです)