【無方庵余滴(続)茫茫記】十牛図第十則「②入鄽垂手の頌」(2024、07 、05)

 

【頌に曰く】(慈恩和尚)

 

△胸を露わし足を跣(はだし)にして 鄽(てん)に入り来る

(かれは、やせ衰えた胸を露わし、素足で市(まち)にやって来る、)

赤貧の生活を表し、貧しい格好で市にやって来る、何も隠すものは無い。

胸をはだけ、素足で市(まち)にやって来る、まるで布袋和尚のようなものだ、

そして酒屋さんや魚屋さんを自然に感化して成仏せしむ。

 

さらに前賢の途轍(足跡)に背き、自分の姿をすっかり埋めて隠してしまい、自由自在に生きている。

何ものにも囚われることは無い。四弘誓願(衆生無辺誓願度・・・)の働きとなっている。

 

輝きを隠し袋を持ち布袋さんのようであるが、その境界は窺い知ることは出来ない魅力がある。

自然に周りに人を感化してしまう、何かがある。雰囲気を漂わせている、器量がある。ただの浮浪者では無い。

先徳の昔の祖師方の歩いた道そのままを拒否して、同じ道を行くことをしない。

 

△土を撫(な)で灰を塗り 笑い顎(あぎと)に満つ

(砂塵にまみれ、泥をかぶりながら、顔じゅう口のようにしてニコニコと語りかける。)

十字街頭、灰頭土面のところで働きを示す。布袋さんのようである。中国の歴史上の禅僧、布袋さんの袋の中には日常の生活用具入れている。杖をもって市を歩き、貧相な恰好をしているが、何と無しに人をして仏の道に誘い込んでいる。

 

△神仙の真の秘訣を用いず

(仙人の隠し持つ秘術などは使わず、)

神仙の秘訣に頼らない、用は無い。神仙の秘訣(天に昇る秘術)はたとえ父と子であっても、

その極意は伝えない。自ずと自分で勝ち得るもの、築くもの。

 

△直(た)だ古木をして花を放って開かしむ

(ただ古木に花を咲かせる。)

無駄な事であっても、こうしなくてはならない。ということに束縛されない。前賢の途轍(足跡)に背く。

ただ、布袋さんのような恰好をしているが、古木に花を咲かしている。

 

神仙の真の秘訣を用いず、市中の人を済度して、みなを仏の道に導いている。

ただ無駄な事を一生懸命やっている。妙なものは無い。衆生済度を楽しんでいる。

 

十番目の「入鄽垂手」、手を垂れて仏の道に導いている。特別な秘法を使って遣るわけでは無い。

ただ、自分が仏の道を実践している。下化衆生に生きる。人々のために働くことが、遊戯三昧の境界となっている。

 

四弘誓願を念じて衆生のために一生懸命努力する。入鄽垂手ということは十字街頭の所で、灰頭土面の働きをする。

他の人々のために働くことが遊戯三昧となっている。

 

△土を撫(な)で灰を塗り 笑い顎(あぎと)に満つ、

そういう生き方をする。こうすればこういう効果があるというものを、求めてやっているわけではない。

そういうものを離れて、捨ててしまって、一生懸命に努める。市聖人、市(まち)聖人と言われる。

四弘誓願門を成じて、十字街頭の所で、灰頭土面の働きをする。

 

▲他の痴聖人を傭って、雪を擔(にな)って共に井を填む(毒語心経)(禅林句集p292)

 

無駄な事ではないけれど、一生懸命続ける事、努力する事、人の爲に一生懸命働くという事。

布袋和尚の頭仏陀袋に何が入っているか分からないけど相手次第で袋の中から色々なものを取り出してくれる。

 

相手の器量に依って済度する、与えるものが違ってくる。究極の禅の境地だ。

衆生済度が遊戯三昧の生活になっている。布袋様のような生活になっている。

交わった人々に色々なものを示してくれる。報いを求めないでやるべきことをやる。

 

無心なってやる、これが【無作の妙用(ゆう)】これが一番大事な事だ。他の痴聖人を傭って、雪を擔って共に井を填む。労して巧無し、毎日の日展掃除のように汚れてなくても落ち葉が落ちてなくても心を込めて掃除をする。

掃き清める。不断の努精進無作の妙有「大変だ大変だ!」とは言わない。「無位の真人」の働きだ。

 

ここまで行って自分自身に気が付いた。自分自身の本心というものに気が付いた。

そこまで行って初めて「お悟りを得た」と言う事になる。

 

入鄽垂手の序の処、無駄事のように見えるけれど決して無駄事ではない。

ただひたすらに続けるということこれが大事、効果など最初から捨て去っている。

 

自分のこういう生き方というものをしっかり持つ。自分がそれをやり遂げる、それが灰頭土面の働きとなる。

だから何だ!などと、つまらない事は言わない。

 

【無方庵余滴】

▲機位を離れざれば毒海に堕在す。(碧廿五)(禅林句集p206)

(悟りという一つの位(くらい)に滞れば、又是助からぬ死物。世を毒し海のごとく大になる。)

 

●直指人心見性成仏、巧匠跡を留めず、「露」(天下皆知る)