【無方庵余滴(続)茫茫記】「②/2平常心是道(無門関第十九則)」柴山全慶老師(2024、05、31)

 

「本則口語訳」

「趙州がある時、南泉に「道とは何ですか」と問うた。「平常の心が道だ」と南泉は答えた。

「それはどのようにそれに向かうべきでしょうか」と趙州は尋ねた。

 

「向かおうと努めれば道から離反してしまう」と南泉の答え。

趙州は更に問うた。「もし努めなければ、どうして平常心が道であることが知り得ましょう。」

 

南泉は答えた。「道は知にも属さないし、不知にも属さない。知は妄想であり、不知は空虚である。

もし本当に不疑の道を体得するならば、それはちょうど太虚が廓然として限りのないようなものだ。

 

その時、道に是非の分別の沙汰があろうか。」この言葉に趙州は頓悟した。」

(この時、師の南泉はが五十歳ぐらい、弟子の趙州は二十歳を少し過ぎた頃)

 

「道」の一字は、ここでは「根源的な禅の玄理」または「禅の真髄」と見てよい。

「至道」、「大道」と同義である。・・・

 

文字の上では、「道とは何らの分別心を交えない平常心そのままの心のことだ」という。

・・・真の平常心を得るには、われわれの二元的平常心を超えなければならない由縁であり、

 

そのためには真剣な求道と厳しい修行が要求されるのである。すなはち、「平常心は平常心に非ず」という

一関を透過して初めて、南泉禅師の掲げる本来の平常心に帰ることが出来るのである。

 

「道は近きに在り、かえってこれを遠きに求む」と古人は言う。「道は瞬時も離れることは無い。

もし離れるならばそれは道では無い」とも教えている。・・・

 

この時は、趙州青年にとって、

全宇宙を自己とし、平常心のほかに道なしとする南泉禅師の指示が容易にうなずけるはずはなっかた。

・・・

「喫茶喫飯の平常心」が道であり禅であるためには、一度「真っ黒な鉄の丸が暗夜を走り抜ける」

絶対否定の体験を透過して来なければならない。是非を超える廓然洞豁の絶対「一」の境を身をもって体験し、

そこから還帰した平常心でなければ、日々自由に享受し、創造的に使い得る真の「道」とはならないのである。

 

 次に趙州に向かって、「たとえ悟り去るも、さらに参ずること三十年にして始めて得てん」と

その頓悟を奪い去っている。なぜであろう。禅は人格の事実であり、毎日の具体的な生活の上になければならないからである。

 

さもなければ観念論者の空ごとになってしまう。「平常心」は終生の修行と心得よ、と無門禅師の老婆心である。

向上修行、すなわち「山を登る」修行にはその目標達成の時があるが、

向下の修行、すなわち「山を下る」修行には終わりがない。

 

それは「平常心」の修行であり、差別における修行は無限に展開するからである。

尽きることのないのが真の修行、禅の生活である。

 

・・・雲門禅師は「日日好日」と教えている。すなわち、是非、好悪、共に好日と生きることであり、

ことごとく「是れ人間の好時節」である。・・・

 

佛鑑禅師は「平常心これ道を体得しようと願うならば、ただ成り行きに任せておいてはならない。

船を操るには棹を使わねばならぬし、馬を走らせるには鞭を加えねばならぬ」と弟子たちに教えている。

深く味わう言葉ある。

 

この頌に関連して、大燈国師の歌がある。

「実悟の歌」と題して 

▲春は花、夏は涼しき風もなし秋に月なく冬に雪なし

「虚語の歌」と題して

▲春は花、夏は涼しき風もあり秋に月あり冬に雪あり

※逆の表現は、有無、是非の二元を超えて真実を生きよとの指示ではなかろうか。

古人は

▲「道無心にして人に合し、人無心にして道に合す」と言っている。

※これも「平常心是れ道」の妙旨を示す言葉にほかならない。

 

【無方庵余滴】なお老師は、

「禅者にとって、悟り前の血のにじむ苦悶、大疑団無しに、

その人格を根底から変える「悟りの体験」が得られる道理は無い。
一切の分別意識を払い尽くして、尽くし切って、

本当に「不疑の道」に達する必要がある。」と、言っている。

 

▲大冶(たいや)の精金変色なし。(禅林句集)p180)

(鍛え抜いた金は色が変わらぬ。確呼たる安心の人は変節せぬ。)

▲一個の鐵橛子(てっけっす)(p禅林句集77)

(頑としてビクともせぬ。何とも歯がたたぬ。)

 

●心の平安は信心でも信仰でもない、平安にして対象無し。
平安が心、心が平安に明け暮れる、心とまで確かめる心無し、唯平安。

 

●根が切れていれば、どんな場合でも明るいよ。逆に根が付いていては、常に暗いよ。

人生の明暗はこの根が切れているか、付いているかの心のことに。

迷いの根元!やみくもの生命欲。仏教思想でいう無明のことだ。