【無方庵余滴(続)余燼(よじん)雑話】「臨済録」朝比奈宗源老師(2024、04、26)

 

【臨済赤肉団上の話】

▲上堂。云く、赤肉団上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。

未だ証拠せざる者は看よ看よ。

△上堂して言った、

「この赤肉(しゃくにく)団上に一無位の真人がいて、常にお前達の面門を出たり入ったりしている。

まだこの真人を見届けていない者は、さあ、看よ! さあ、看よ!」と。(p40) 

 

▲上堂。云く、一人有り、劫を論じて、途中に在って家舎を離れず。一人有り、家舎を離れて途中に在らず。

(一人は無窮の時間において、衆生済度のためあらゆる境界に働いて、しかも平等の本分を離れていない、

一人は平等の本分をも離れて、しかも差別の境地にもいない。)

△家にもおらんが、道中にもおらん。こういう奴が一人おる。

禅者向上の境涯。臨済のいう「無事是れ貴人」の妙境である。(山田無文老師)

 

【臨済四料揀】 

▲師、晩参、衆に示して云く、

有る時は奪人不奪境。

有る時は奪境不奪人。

有る時は人境俱奪。

有る時は人境俱不奪。

 

△ある時は人を奪って境を奪わない。ある時は境を奪って人を奪わない。

ある時は人境共に奪う。ある時は人境共に奪わない。

 

【臨済四喝】

▲師、僧に問う、

有る時の一喝は、金剛王宝剣の如く、

有る時の一喝は踞地金毛(こぢきんもう)の獅子の如く、(※踞はうずくまる)

有る時の一喝は、探竿影草の如く、

有る時の一喝は、一喝の用(ゆう)を作(な)さず。

 

△ある時の一喝は金剛王宝剣のような凄味があり、

ある時の一喝は獲物を狙う時の獅子のような威力があり、

ある時の一喝は学人の力量を探り出すはたらきを持ち、

ある時の一喝は一喝のはたらきを作さない。

 

【破夏の因縁の後】

▲仰山云く、恩を知って方(まさ)に恩を報ずることを解す。・・・

△師匠の大恩を知り、その恩に報いることを心得たもの・・・

 

▲仰山云く、祇(ただ)楞厳会上に、阿難、仏を讃して、此の深心を将(も)って塵刹に奉ぜん・・・

△楞厳教の法会で阿難が仏を讃嘆して、この深心をもって無数の衆生に奉仕する。・・・

 

▲潙山云く、如是如是。見、師と斉(ひと)しきときは、師の半徳を減ず。見、師に過ぎて方に伝授するに堪えたり。

△そうだそうだ、弟子の見識が師と同等では、必ず師よりも教化の力がおちる。

見識が師以上であってこそ、まさに法を伝授される資格がある。

 

【正法眼蔵、誰にか伝う、瞎驢辺(かつろへん)に滅す】(序)

及び【吾が正法眼蔵、この瞎驢辺に向って滅却する】(行録二一)

 

師、遷化に臨む時、…吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ。・・・

(師の問に対し、)三聖は「かーつ」と一喝した。

師云く、誰が知る、吾が正法眼蔵、この盲驢馬(めくらろば)のところで滅びてしまうであろうことを、

誰が知っていよう、と。三聖を肯がった。「歴々分明!の処」

 

▲王庫の刀を弁じ、塗毒の鼓を振るう (禅林句集p234)

(佛道の第一義を振りかざして、大法を挙揚する。塗毒鼓とは毒薬を塗った太鼓、聞くもの皆死すという。

学人をして喪身失命せしめる師家の辣腕なる手段を指す。)

 

 

【無方庵余滴】

●「一(いぃ)切衆生!」

…(一切衆生と)同時同体で…(空手にして)地べた這いまわっております。

(衆生済度に、泥んこまみれも、厭いませんわい。)

(衆生済度で地べた這いずり廻っています。)

●本具仏性の事実を気付かせるのが他を救う衆生済度となる。

●一切衆生で救われました。自分の仏性を目覚めさせるのが自分を救うことになる。

 

▲(廓庵和尚が十牛図に第九と第十の二つを加えた)

   返本還源(十牛図第九)

 入鄽垂手(十牛図第十)

 

▲神通並びに妙用 水を荷(にな)い也(ま)た柴を搬(はこ)ぶ。

(禅林句集p267)

 

●正伝(円相)を飛び出しての、用(はたら)きこそ宗旨の示す処です。

●[了(つい)に] 空手にして、一切衆生の下(もと)に還る。

●何処へ行くにも、万法を供に何処へでも参ります。

 

▲「自己をはこびて、萬法を修証するを迷いとす。萬法すすみて、自己を修証するは悟りなり。」

(正法眼蔵現成公案)

 

▲萬法帰一 一亦不守(禅林句集p231)

(悟りの有難さにも滞在せぬ。絶対をも超出する。)