辛いの極地 | 最愛の母の闘病生活、母への想い。男に騙され借金地獄から新築マンション購入話、医療過誤、年下男子話も書いてます。

最愛の母の闘病生活、母への想い。男に騙され借金地獄から新築マンション購入話、医療過誤、年下男子話も書いてます。

最近は専ら大好きな母との事を書いてます。母の医療ミス、借金まみれで一家心中まで考えた過去等、男に騙され続けた話、新築マンション購入、年下男子、何でも書いてます。

隣で母が、

『死にたい』

『おかーちゃん、もう嫌やぁ、早く死にたい』

 

度々だったのが、それをずっと言うようになった。

 

それでも私が、テレビで面白い番組等を指さして、

『見て見てー!』って言っても、

面白い話をわざとしても、

何をしても、クスリともしなくなった。

そして、≪しくっ しくっ≫ と泣いていたり、

激しく 『もうこんなん嫌やーーー!』 って叫んだり。

 

母が、今どんな想いでいるか、

母の右手の辛さは、本当に当人しかわからない。

 

1年以上も、ずっと腕が曲げれず、軽く伸ばしたまま。

眠る時も、、右側を下にして寝れない(これは今も)。

血液検査や、点滴の注射針は、一切打てない(打つ場所がない)ので、

全部左手に集中するので、青あざだらけだった。

七十代という高齢で、初めて利き腕が奪われ、総て、左手で一から練習。

いつまでこんな状態かも不明。

母に聞くと右腕だけが異常に重かったらしい。

そして、病院へ行くと、毎回痛い治療。

家でお風呂に入っても、毎日薬を塗ってガーゼと包帯を大量に使って

娘にしてもらわないといけない。

足腰も弱ってガリガリでひょろひょろになった。

なんせ、あんなけフットワーク軽く動くのが大好きだった人が、

自由が利かない果てしない生活。

孫がいるわけでも、嬉しい話が家庭にあるわけでもなく、

兄は度々お金をせびりくる、父は知らん顔。

本当に辛かったと思う。

それでもめちゃ頑張ってたと思う。

 

だけど、だけど。

 

『”死ぬ”なんて、言わんといてー!』っていつもお願いした。

 

そして私も度々、

『死んだら嫌やーーーー。えーん』って一緒に泣いた。

 

そして、

『おかーちゃん死んだら、私も死ぬからな!えーん!』

『おかーちゃんと一緒に私も死ぬーーー!!えーんえーん

って子供みたいな事を言っていた。

 

このやり取りが増えた。

 

私にとったら、もう母の事だけを考えて頑張って生きていたと言っても過言でない。

三十代半ばで、結婚もできず、借金まみれ。

自分が一番この世でしたかった子供を産んで育てる事も、もう無理やろうし、

親が居なくなったら、住む所も貯金も無いし、生きていけるのか?

 

再就職なんかこの先できるとは思えなかった。 

年齢的な事もあるけど、母がこのまま回復しなければ、

仕事なんか行けるわけないし、となったら、最悪は自己破産、生活保護・・・か・・・

って考えてた。

自分の末路は、

生きていても、親が居なくなった後、兄の面倒だけをみさされて、年老いて、

細々と暮していかないといけないんや・・・

って考えると、本当に母が居なくなった時、

絶対自分も終わろう!と思っていた。

 

生きていて、なんの意味があるんやろ?

誰の為に生きるんやろ?

自分の為に生きるの意味もわからん。

私が居なくなっても、その日から1週間ぐらいだけなら悲しんでくれる友達は居る。

だけど、その人達は、私が居なくても、全然元気に生きていける人達。

じゃぁ、自分、ほんま要らんやん!

母に必要とされているのは実感があった。

だけど、父や兄にとったら、頼っても良いだけの存在だと思う。

そして、ややこしい父と兄は私だけを頼るだろう。

母が居なくなったら、辛い事だらけで、心のよりどころは無い。

今までも、一生懸命我慢して頑張ってきたつもりで、

辛い事もいっぱいあったけど、将来きっと、良い事があると思って我慢できた。

でも、そうじゃないなら、早くリセットボタン押したい。

 

私の人生がこんな感じなのわかっていたら、

多分十代の辛かった時に、リセットボタン押してたと思う。

その頃は、『今はこんなんでも、将来好きな人と結婚して家庭を持って、

自分にそっくりの赤ちゃんを抱けて、育てて、その子の成長を楽しみに、

その子が幸せになれる為に奮闘する日々が待っている』

と信じてた。