こんにちは

重度の知的障害をともなう自閉症の息子(19歳)と「楽しく暮らす」をモットーにしている母のブログです。
昨日、アクセス数が急に伸びていました。
教育現場を批判するような内容のブログが炎上でもしたのかと、ソワソワしていたのですが。
今日、よくよく見てみたら、過去記事まで遡って読んでくださった方が複数いらしたようです。
ホッとしました





たくさん読んでくださり、ありがとうございました

りょうへいが自閉症だと分かったのは、実年齢が3歳になる前くらいのことでした。(精神年齢は今も3歳児)
初めは皆さんと同じようにひどく落ち込み、こんなことはどうか夢であってくれ。と思っていました。
朝起きるたびに、あぁ、これは夢じゃないんだって

それが1年くらい経つと、さすがにこれは現実なんだなぁ、と悟り始めます。
そして、
自閉症が何だ‼️
この子は私が幸せにしてやるわ

という、開き直りとも取れる心理状態になります。
ここで、はたと考えるのです
あれ、幸せって何だろう❓って。
ここで、自閉症の当事者である、東田直樹さんの本と出会います。
「自分がつらいのは我慢できます。しかし自分がいることで周りを不幸にしていることには耐えられないのです」
これに、ひどく衝撃を受けまして。
そうだ‼️
りょうへいがいて私が幸せって思うことが、この子にとっての1番の幸せなんだ‼️
っていう思いに至るわけです。
そりゃそうですよね。
いくら言葉が話せなくても。
言葉自体の意味がわからなくても。
自分が好かれているか、嫌がられているか、くらいは息子にも感じ取れているはずです。
なので、自閉症の息子が〇〇だから幸せ。
じゃないのです。
りょうへいがピアノが弾けるからでもなく。
かわいい笑顔で笑ってくれるからでもなく。
何より、私のお腹から生まれてくれたりょうへい
が幸せであってほしいから。
私がいなくなった後も、幸せに生きていってほしいから。
だから、私は幸せなんですよ。
ここまで書くと、何だか悲壮感が漂う感じに見えるかもしれませんが。
幸せって言ってると
ホントに幸せになるんだね

もうね、これって本当なんですよ。
脳内お花畑


ってバカにされるのかもしれませんが。




言いたい人には、言わせておけばいい。
人と比べてね。
自分の方がマシ、なんていう満足の仕方は手っ取り早くて簡単ですけどね。
隣の芝は青いっていうのは有名な話で。
人の方がよく見えることの方が、圧倒的に多いわけです。
それが不幸の始まり。
だから、比べるのは、過去の自分だけで十分なんです。
こんなことを言う私自身も。
「だけど、障害のない子の方が絶対いいに決まってる。
障害のある子どもがいて幸せなんて言う人がいるけど、そんなのは負け惜しみに違いない」
って。
そんな風に、ずっと、思っていたのです。
だから、そう思う人の気持ちもよく分かります。
これはねぇ。
この立場になってみなくちゃ分からないでしょうねぇ。
あぁ、これって負け惜しみじゃなかったんだねぇって。
しみじみ思う、今日この頃です。

衣装を着せてみました
