この記事が「リブログしませんか〜」というおすすめに出てきましたので、リブログします。

3年前の今頃の記事です。
今読んでも、その通りだな、と思います。




りょうへいは、中学までは地域の学校の支援級にいました。


中学3年生の時に、PTAのイベントでピアノを弾かせていただきました。

クリスマスコンサートとして、クリスマスソングメドレーと幻想即興曲を弾いています。

その時の動画がリブログ記事の中に貼ってあります。よろしければご覧ください🙇‍♀️












音譜音譜音譜音譜音譜音譜音譜音譜



その地域の中学校の合唱祭で、3年生の全体合唱の伴奏もさせていただきました。



昔の基準でいえば、自動的に支援学校に振り分けられていたほどの知能指数でした。




こんなに貴重な経験をさせていただき、地域の学校で本当に良かったと思いました。





支援学校(養護学校)ができる前は、障害を持った子の親は、義務教育を辞退する書類に泣く泣くサインをしていた時代もあったようです。


養護学校ができてからも、知能指数などで自動的に振り分けられていた時代も。


今は、それぞれの実態に応じて柔軟にどちらかを選ぶことができるようになってきています。


このように変わってきた背景には、障害ある子の権利のために力を尽くしてくださった先輩方がいらっしゃったおかげだと思います。


障害があっても心豊かに暮らしていける社会のために、私も何かひとつでも力になれたらなぁ、と日々思っています。