こんにちは

重度の知的障害をあわせ持つ自閉症で、養護学校高等部3年生の息子が、ピアノに取り組む様子を記録しようと始めたブログです。
ブログを始めて丸3年経ちました。
小学校、中学校は、地域の学校の支援級に通いました。
小学校入学当時は、中度の知的障害という判定でした。昔でいえば、強制的に養護学校だった様ですね。
うちは、生活のことはなるべく家庭でフォローして、学校では勉強をしてきてほしい、という思いから、支援級を希望しました。
支援級に、とてもいい先生がいてくださったのも理由でした。
でも、入学後、その先生に私は怒られっぱなしでした

気がつかないうちに、私がりょうへいに手をかけすぎていたようなのです。
「りょうちゃんは、お母さんが思うより、いろいろできます‼️」
「お母さんが、りょうちゃんの成長の芽を摘んでしまっていますよ‼️」
「お母さんがりょうちゃんの世話を一生してあげられる訳じゃないんだから。」
「自分でさせてあげてください‼️」
それはもう、真剣に怒られました

そのうちに、家庭でも、私がりょうへいを手伝おうとする時に、空耳みたいに先生の声が聞こえ始めました。
「自分でさせてあげてください‼️」
学校の先生は、私の先生でもありました

先生は、自分が親に何と思われようと全く気にされなかったのですよね。
とにかく、親以上に、りょうへいの将来について真剣に考えてくださっていました。
親の機嫌だけ伺って、親が手を出すごとに
「手伝ってくださって、ありがとうございます
」

なんて、にっこりしていた方が、先生も楽だったのでしょうけど。
学校行事や学年ごとの行事などにも、なるべく交流級のみんなと一緒に出られるように、学校側と交渉もしてくださっていました。
私たち親からの信頼は厚いものがありましたが、どうやら学校側はあまりよく思っていなかったようですね。学校側の排他的な雰囲気は、感じていましたから。
こんな、神のような先生が退職された後、、、。
私が、直接学校と交渉しなければならなくなりました。
「自分でさせてあげてください‼️」
と、何度も次の先生にお願いしなければいけなくなりました。
りょうへいも、その先生の元で安心しきっていたので、先生の退職後は、情緒不安定になっていきました。
鉛筆には噛んだ跡がびっしり‼️帰りの会に行くのを嫌がって泣く‼️それを力づくで引っ張ろうとする先生‼️
ここは、同じ学校なんだろうか。。。
りょうへいの安心した顔は、もう学校では見られないのかな、、、

人との別れがこんなに悲しいと思ったことは、生まれて初めてでした。
ピアノの先生だけでなく、熱心な学校の支援級の先生。
大事な小学校低〜中学年の時期に、いい先生に恵まれたことは、とてもありがたいことだったと思っています。
小学2年生の頃のりょうへいです。
画像の粗さに時代を感じますね
