こんにちはニコ

養護学校高等部3年になった息子のことを書いています。

本人は、重度の知的障害を併せ持つ自閉症で、ピアノは楽譜を見てガンガン弾きますが、こういう文章は書けません。



令和になったので、それに合わせた感じの内容を書いてみたいなぁ、と思い。

所信表明みたいな❓ことを書こうかと思いましたが。


先日、学校にりょうへいを連れて行った時に、みんなに今年の目標とか書かせる紙を配ってるのを見ましてね。

んーーー。そういうの書かせるの、大人は好きですね。将来の夢、なんて書かせたりね。


自閉症の息子は、予定の変化を嫌うから、直前の予定でさえ、本当に確定したことしか伝えてないのに。一年で何を成し遂げる、とか、あんまり考えさせない方がいいのかなぁ、と思いました。


そこで書かせたとしても、書かせた内容を一年後に誰も覚えていないでしょうけどね。




そしてこれ、障害あるなし関係なく思うことですけど、あんまり将来の自分に対して、強い信念を持ちすぎない方がいいんじゃないか、と。


ビリヤードの玉みたいに、壁にぶつかっては跳ね返されながら、最終的に自分の居場所が見つかった時にストンと落ちるみたいな。


強い鋼はポキンと折れてしまうけど、ゴムみたいな柔軟性を持ち合わせていれば折れない、みたいな。


思い通りにいかないときも、自分の居場所は他にあるのかも、と柔軟に方向転換していったらいいんじゃないか、って思います。


それを一文で表した詩があります。


「いいさ、描いた絵を何度でも直す手を僕は持とう〜NOT AT ALL」ASKA


せっかく転んだら、そこから見える景色を思う存分見上げて、そこにしか咲いてない小さな花を見つけて、ついでにその辺に落ちてる小石の1つでも拾ってから、よっこいしょって立ち上がったらいいんじゃないでしょうか。


誰でも、どこかで一度は転ぶわけですから。


いつ、誰が、どこで転んでも、「温かな右手」が差し伸べられるような、そんな社会になることを心から祈ります。



別れの曲を弾くりょうへい