|
朝鮮学校に高校無償化の実現を求める連続行動。
今日(2/22)、文科省旧館正門前のスタンディング抗議に参加した。
正直、文科省に伝えたい言葉はもう見つからない。
その代わり、道行く人たちに微かな期待を掛け「卒業までに!朝鮮学校に高校無償化実現を!!2~3月連続行動」の両面刷りチラシを一心不乱に配る。
最初は「読んで頂けますか」と声を掛けながら、もらってくれると「ありがとうございます」と。
でも「ありがとう…」が中々増えない。無視、拒否が目立つ。
そんな中、私の口調はどんどん強くなり「子どもたちへの差別に反対です。読んで下さい!!」と声も大きくなる。
一度受け取ったチラシを見て「朝鮮学校?…いらないよ!」と、ご丁寧に戻しに来る人が居るかと思うと手のひらでストップポーズに「結構です!」と。
何が結構なのか分からないが、悔しくて涙がこぼれた。
慣れてるはずなのに…
何度も経験し味わった悔しさと怒り。
なのに、今更…それもチラシを配りながら。
自分でも訳の分からない涙が込み上げてくる。
ウリハッキョに対する日本政府の見解は65年前も今も変わらない。
差別が良くないことは誰もが知っている。なのに見て見ぬ振り。
違って良いんですよね。違いを認め合い、互いを尊重することが大事だってことも充分に唱えながら「違う」を理由に朝鮮学校を排除し、堂々と差別肯定の先頭に立っている文科省。
それを手本に差別が公然と許され、あらゆる「違う」「異なる」ものを排除し、見て見ぬ振り、「見ざる,言わざる,聞かざる」の挙句つくられてゆく「無縁社会」。
つながっているように思えるのに…
乳母車に子どもを乗せた母親も頑なにチラシの受け取りを拒否、チラシを渡そうとすると「強要することじゃない」(確かにそうですが)と、声をあげ嘲笑する二人の男性の姿に怒りを越し、恐ろしさに身ぶるいがした。
私たちの暮らす日本社会の問題なのに…
「無賞化」から排除されたまま2度目の卒業式を迎えようとしている。
子どもたちの心を、これ以上傷付けないで!
子どもたちに、自らの生まれ育った国を嫌いにさせないで!
そんなことを思い口走りながらチラシを配る。今度はそれを手にした女性から「応援してますよ!」と、心温まる声援。 またじ~んと目頭が熱くなる。
冷たい風に吹かれながらも、「高校無賞化」から朝鮮学校排除に反対する連絡会の皆さんと、その活動に支えられている心強さ。日本政府や文科省に対する怒りより、共に寄り添って下さる人たちの熱い想いや温かさの方が、私の心中を占めるに勝っていることを実感した途端、身ぶるいは失せてしまった。
|