私の家系は

医療や介護の仕事に関わる人が多く

それだけ病気や障害を抱えた方々との接点も多いです。

私自身も医療系の学校を卒業し医療や介護の仕事に関わってきました。


「御自身が苦しんできた病気に苦しむ人が居なくなる日が1日でも早く来るように。」

「亡くなってまで切り刻まれるのは可哀想だけど、彼女の意志を尊重したいから。」

「私の体が、未来の誰かの役に立つのなら。」


そう言って

自らを家族を検体として差し出して下さった方のことを知っています。

泣きながらも同意書にサインされた方がいらっしゃることも知っています。


「どうしても耐えられない。すみません。」

そう言って泣き崩れる方の悲しみ。

その悲しみを少しでも受け止めようとする医療従事者の方の辛さ。


全てを軽く扱われたようで

悲しくて仕方ありません。


息子さんの病状が落ち着いてきたことは

本当に良かったと思います。

その治療方法に行き着くまでの出来事に思いを馳せることもあるでしょう。


それにしても


現代の医療は、その死屍累々の屍の上に成り立っている(古美門研介)


なんて言葉を使う気持ちが分かりません。

多少乱暴?どころでは無いですからね!!


この言葉は

医師として病気に立ち向かい戦い抜いて

更に自らの体を未来の医療に捧げた人の代理として主人公が放った言葉ですよね?(調べました)


あなた何をしたんですか?

それ程までのことをしたんですか?


息子さんが難病となれば悩みますし

苦悩もあるとは思いますが

だからと言って、こんな言葉を多くの人が目にする媒体で書くべきじゃない。

読んだ人が、どんな思いを抱くのか考えて頂きたい。


人の死というものの重さ

あなたが引用した言葉の重さを

もう一度、考えて頂きたいです。