妊娠してみて変わったのは、

旦那に何が起こっても一緒にがんばる覚悟ができるようになったこと。


命かけて守らないといけない存在が出来たということの重さに慄きつつも、

出来ることは結局与えられた運命を受け入れて感謝するのみ。



赤ちゃんがいなければ、

もうちょっとのんびりした気持ちで、新婚生活送れたのに。とか

もっといろいろ貯金したり、家具揃えたり、ゆっくり二人の時間をすごしたり出来たのに。

新婚旅行、イタリアかチェコに行こうって言ってたのに。

とかそういうことを思うけれど、

そんなの私の身勝手だ。



ある友達に、「赤ちゃん来たんだね!」と言われて、

ああ、そうか赤ちゃんは私と旦那が作ったのじゃないんだ。来たんだ。とおもってすっと受け入れられた。



妊娠したって、いつもどおり生活したい。

私は妊娠したからって、何かを中途半端にしたり、誰かを大切にできなくなったりしたくないと

思っていた。



けれどまた別の友達に、

「赤ちゃんを授かるというのは神業以外のなんでもなくて、授かったことに喜んでも

十月十日おなかの中で無事に成長することもあたりまえじゃないし、

母子ともに健康で出産出来ることだってあたりまえじゃない。」

と言われて、

私はいろんなところに気を使うよりも、今はまずこの命を出来る限り守るように生きて行かなくてはいけないと

気付かされた。



なんか結婚するのと同じくらいの感覚で妊娠をとらえていたけれど、

必要な覚悟の度合いが全然違う。

とんでもないことになったと思うけれど、

受けて立とうとも思う。



乗物に乗るだけでものすごく気分が悪くなったり、

調理する時のいろんなにおいが気持ち悪いのに、料理をしないわけにいかなかったり、

早起きしないといけないし、連休がおわったら仕事もしないといけない。

通勤だって、「今日は電車に酔わないかな」と毎朝びくびくしなくちゃいけない。

でもたぶん、そういうことを乗り越えて行くことが、

試練として用意されているんだと思う。


つわりは永遠には続かないと、よく本に書いてあるのを見るけれど、

つわりが終わるころにはおなかが大きくなってきて、

いよいよ「妊婦」として生きなくてはいけない。

(「妊婦」なんて人間とはまた違う生き物みたいな分類で私自身何も変わらないのに違和感がある。)

そうなったら、みんなに「妊婦」として見られて生きて、

最後には産むことの苦しみがまっている。

生まれてからは寝る時間も削ってただ泣くことしかできない赤ちゃんと暮らしていく。

言葉を発するようになると、自分の子供なのに自分と違う人格である子と

どうやって向き合うのか悩むとおもう。


今はまだ実感がなくて、私は徐々に覚悟を決めて基礎作りをしている状態でしかない。




遠い昔に女が男をそそのかした罪を世々引き継ぐために、

人間のメスは出産が苦しくて命がけだと、聴いた事がある。

確かに罪深い自分がいるから、これも受け止めて行かなくちゃいけないことなのかとおもう。