東福門院和子の涙」宮尾登美子(講談社文庫 全1巻)

和子は「まさこ」と読みます。
徳川2代将軍秀忠の末の姫として誕生し、武家から初めて入内した和子の一生を侍女の「ゆき」が語る。という物語。
織田信長の妹「お市の方」の娘であった母「お江与の方」の苦難の人生から始まります。
人を語る上では、やはり親の存在というのが欠かせないものなのですね。
本人だけでなく、その取り巻く人々の生き様や思惑、そして時代の流れというものが和子の人格そして人生を構成する上で大きなウエイトを占めているのです。

幼少期は兄たちに手を噛まれても泣きもしないでニコニコしていた和子。
「泣かずの姫君」と呼ばれ、兄妹の中でも最も気が大きく我慢強い子と思われるようになりました。
このおおらかさが、やがて宮中で過ごすことになる彼女自身の拠り所となります。

いえ、周囲にはそう見えるのです。

「稀なる福運の姫君」と称えられながらも、その人生は決して楽しいことばかりではありませんでした。
夫たる後水尾天皇やその取り巻きの女性たちから「武家の娘」と虐げられ、入内後2年以上も放置されます。
それでも和子は春風のように優しく暖かくじっと待ち続けます。
やがてその心栄えが天皇に通じ、次々と子を成していくのでした。

後水尾天皇は病気治療のため、突然、一の宮である和子の長女に譲位してしまいます。
わずか8歳の娘を手元から取り上げられ、和子は嘆き悲しみます。
しかし、上皇となってから女性の出入りが激しくなった夫に対して決して嫉妬めいたことは言いませんでした。
そして、自らが産んだ皇子が夭逝したために、他の女性が産んだ子を養子として天皇の座につかせます。

詮無きことは決して口にしなかった和子。
しかし、どれだけの思いがその胸にあったことか。
公武の間を取り持ち、表面的には穏やかに微笑みながらどれほど悔しく切ないことがあったことでしょう。
幼き頃から仕えてきた「ゆき」にも気付かれることなく、和子は胸のうちの悲しみや苦しみを一人で耐え忍んできました。

「ゆき」は和子の枕の下に入っていた一枚の「紅絹(もみ)の切」がぐっしょりぬれていたことから、ようやくそのことを知るのでした。
どんなに華やかで幸せそうに見えてはいても、心のうちは誰にもわからない。
和子の本当の強さに心打たれました。

私はかなり口数が多いほうなので、少しは和子のように黙っていられれば、なんてことを思いました。
次は和子とは逆に徳川家へ降嫁した和宮の物語でも読んでみようかな。