通常この病院ではAIHを6回施行してダメだったら次のステップへという流れのようですが、ずんだ夫婦は毎回運動率が低いため3回目が失敗した段階で体外受精の話をされました。

躊躇したのはポンすけの方よりずんだの方でした。

ずんだは約4年程産科の病棟に勤めていました。
その産科は正常な分娩よりも生まれる前にこどもの病気や障がいがわかった赤ちゃんが生まれてきたり、早産で400g弱の赤ちゃんが生まれたり、双子ちゃんだったり、いわゆる「ハイリスク」と呼ばれる分娩が中心の産科でした。
ずんだは新人時代からその病棟に配属され、生まれたばかりの赤ちゃんを看取ることや死産となること、生まれてから一生病気を抱えていくということ…いろんなご家族を見て一緒に悩んだり、泣いたり、本当にめまぐるしい毎日でした。
自然妊娠でも胎児異常や奇形はあるけど、体外受精のように人工的に手を加えることでそういうリスクは上がったりしないのだろうか…もし何かあったときに「あの時体外受精したからだ…!」と自分を責める日が来るのではないか…そう思うとどうすべきかわからなくなって。。。

そんな心配をしている私なんか母親になる資格なんてないと何度も思いました。
どんな子でも受け容れる準備が出来ていない自分なんかが母親になんてなれるわけないって。

そんな気持ちに寄り添ってくれたのは私が産科で受け持っていた患者さんでした。
退院後もベビちゃんの通院で病院に来るたび私に会いに来てくれて、退職後も唯一連絡を取っていた方でした。
彼女も長い間不妊治療をして、うまれてきた赤ちゃんには障害がありました。
会うたびにたくましくなっていく彼女から「(不妊治療を)頑張ってきた集大成がこれか!って思う時もあるけど。」と言いながらとても幸せそうな彼女からの温かい励ましに背中を押された部分は大きかった。
頑張ってみようかな…そんな思いで夫婦でカウンセリングを受けたのでした。

でもそのカウンセリングの進め方がずんだもポンすけも気に入らず…。
エステの勧誘のような料金の説明、そして私がまだ迷っている部分もあると打ち明けると「迷っている暇はない」と怒られてしまいました。
同意書にサインができず、次リセットしたときに同意書を持ってくるよう言われたのでした。

数週間後、リセット。
でもどうも病院との信頼関係が築ける自信がなくなってしまい、同意書は持って行きませんでした。
そしてまた怒られる始末…。
「頑張る気がないのか!みんな普通は迷わないのにどうして迷うんだ!他に方法はない!もうイイ!成果のない人工授精がいいならそうすればいい!」

心…ポキッ。

田舎は転院したくても高度生殖医療技術を提供できる病院が少ないので選択の余地がないのです。

折れた心は戻らず、転院を決意!!
一緒に仕事をしている大学病院の先生に相談し、大学病院で治療を受けることになりました。