最近、以前のことについて

母が謝ってくることがある。

母が悪いことなんて何も無いのに。



癌が見つかる数年前に
「医療保険に入ろうと思っている」
と話した時に
「まだ入らなくても大丈夫でしょう」
と言われたこと。

私はそんな話をしたことすら
言われてから思い出したくらいなのに。


結局保険に入らないかまま
子宮体癌になってしまった時に
「あの時入らなくても大丈夫って言って
 本当にごめんね」
と言われて
「そうだったっけ?
 何と言われようと入るか入らないか
 最終的に決めたのは自分なのだから
 自分のせいでしょう」
と返した。

本当に自分のせいだと思っているから。



最近は「てんかん」に関して謝られた。

昔は自分が「てんかん」だなんて

知らなかった。


高校生位になって
てんかん患者による

交通事故のニュースを見ていて

初めて「てんかん」を知ったと思う。
それでも
自分がその病だったとは思っていなかった。
大人になってから
「もしかして、てんかんだったのかな」
とは思ってはいたけれど
実際にちゃんとした病名を聞いたのは
つい最近(9/29)のこと。


幼稚園児頃から中学生頃まで
1日2回朝晩薬を飲んでいた。
でも、その薬が喉に引っ掛かって
上手く飲めなかった。


それでも飲まないと怒られて
「姉と弟は薬を飲まなくて良いのに
 何で私だけ…」
と本気で思っていた。

薬を飲むのが本当に嫌で嫌で
泣いて嫌がったけれど
許されることは無かった。


「喉に引っ掛かって飲めない」
と訴えても
飲まないための言い訳だとしか
思って貰えていなかった。
「何で私だけ飲まなければいけないのか」
と訴えても
「眠くなる病気だからしょうがないの」
と言われるだけだった。


その内、悪知恵がつくと
飲んだフリをして薬を捨てるようになった。
大人になったら今なら
「なんて事をしていたのだろう」
と思うけれど
当時の私にとっては
薬を飲み続けなければならない
苦しみから逃れる唯一の方法だった。
でも、それも直ぐに見つかった。


私には「てんかん」の記憶はない。
意識が無くなるのがてんかんなのだから
当たり前なのかも知れないけれど。
私にあるのは泣いて訴えても
嫌な薬を飲まなければならなかった記憶。


大人になって別の件で
耳鼻咽喉科へかかってから
扁桃腺肥大だと判明した。


それを切除したところ
今まで突っ掛かっていたのが嘘のように
色んなものが喉をするりと抜けていった。
扁桃腺を切除して突っ掛えること無く
飲み込めるようになったことを伝えた時に
「昔、薬が突っ掛かって飲めないって
 言ってたのに信じてなくてごめんね( ゚∀゚)
 そんな訳ないって思ってたから」
とテヘペロ的に謝られた。
昔のことを今更謝られても

仕方がないけれど
ずいぶん軽いなとは思った(笑)


その「てんかん」の話をまた言い始めた。
子宮体癌の治療で服用している
ヒスロンHの副作用について
調べ直していた時だった。
ヒスロンHを服用してはいけない者の欄に
「てんかん、てんかん既往歴者」
と書いてあったため。
「主治医に
 昔てんかんだったこと伝えた方が
 良いのかも知れないね」
と急に言われた。


…私ちゃんと病名教えて貰ったの初ですが?
やっぱりてんかんだったんだなと
自分の中で納得して終了…(-_- )


「あの時○○(近所の小児科)じゃなくて
 市立病院に連れていってあげれば
 良かったね、ごめんね」
そう言われても
薬を飲まなければならなかった記憶と
中学生なのに
小児科に通院していた記憶しかないので
答えられることは何もない。


薬を飲まなくなってから約20年
特に何事もなく過ごしてきた。
だから当時の選択は正解だったのだと思う。
確かに、市立病院に行っていたら
もっと早く良くなっていたのかも知れない。
でも、「かも」の話。
何より、もう終わっているとこ。



取り返せない事を
今更どうこう言っても意味がない。
取り返せる事ならば
今から頑張る意味がある。
私はそう思う。
(今回の母からの謝罪は

 謝罪して貰うような事柄ではないけれど

 気持ちの問題なので

 何かあるならばした方が良いと思う)



まだ35歳のひよっこなのに
後悔だらけの過去。
タラレバだらけの日々。
いくつになっても
タラレバは付いて回るのだろうけれど
1つでもそれを少なくするために
後悔の少ない選択をしていけるだけの
自分を育ててあげなければならない。
難しいミッションだ。