人は状況が苦しくなるほど、無意識に「場を保つ役」に回ろうとします。
誰かを困らせないために、空気を乱さないために、自分の感情を後回しにする。

気づけば、頑張ることで物事を回す立ち位置が当たり前になり、
それが自分の役割のように定着していきます。

わたし自身も、職場で人が足りなくなったときやトラブルが起きたとき、
自然と自分が引き受ける側に回ってきました。

弱音を吐くより、回したほうが早い。
自分が頑張れば場は整う。

そうやって何度も乗り切ってきたからこそ、
「支える人」でいることが当たり前になっていたのだと思います。

支えることで成り立ってきた関係や環境は、確かに多くあります。
けれど同時に、その裏側で心が疲れていくことも少なくありません。



ふとした瞬間に湧く寂しさや、理由のわからない涙は、
弱さではなく、長く張り続けてきた心からのサインなのだと思います。

実際、わたしも忙しさのピークに差しかかるほど、
なぜか涙が出てきたり、急に寂しさを感じたりするようになりました。

以前のわたしなら、
「弱くなったのかな」
「もっと頑張らなきゃ」
と自分を責めていたと思います。

でも今は、それが心からのメッセージだったのだと感じています。

「もう少し力を抜いてもいいよ」
「ひとりで抱え込まなくても大丈夫だよ」

そんな声が、感情として現れていただけなのかもしれません。



書き続けることで気づいたのは、
強く在ろうとすることと、弱さを持つことは対立しないということでした。

気を張り続けることで回すのではなく、
自分の状態を認めたまま場を整える。

無理を隠して支えるのではなく、
余白をつくりながら支える。

わたしは今、その在り方へ少しずつ移行してきているのだと感じています。



これまでの生き方は、我慢や犠牲によって成り立っていました。
けれどこれから向き合っていきたいのは、
頑張り続けることではなく、しなやかに支え合うこと。

強さの中に弱さを含めていくことこそが、
長く続く安定につながるのだと思います。