うまくいかなかった時、わたしはいつも同じ思考にたどり着いていました。

「わたしのやり方がよくなかった」
「もっと成長しよう」
「もっと磨いていこう」

この考え方は、確かにわたしを前に進ませてくれました。
立ち止まらずに学びに変え、次の一歩を探し続ける力になっていたと思います。

実際、そうやってわたしはここまで来ました。
人との関係も、仕事も、環境も、
「次はどうしたらよくなるだろう?」と問い続けながら、少しずつ更新してきたのです。

だからこの思考は、わたしにとって誇れる生き方でもあります。

でも同時に、知らないうちに
「自分を少し下げることで、前に進む癖」
も育ててきたのだと、今は感じています。

うまくいかなかった理由を、環境や相手ではなく、自分に引き取る。
そうすることで、次に活かせる材料に変える。

それはとても合理的で、大人なやり方でした。
特に、保育の現場や人と関わる仕事の中では、
この姿勢があるからこそ、信頼され、任され、乗り越えてこられた場面もたくさんあります。

元気な時、この思考はとても頼もしい味方になります。
反省は学びに変わり、経験は糧になり、
「次はもっと良くできる」という前向きなエネルギーが生まれます。

けれど、心や体に余裕がない時。
疲れている時、立ち止まっている時、思うように進めない時。
同じ言葉が、まったく違う形で自分に向かってきます。

「やっぱり足りない」
「まだまだだ」
「だから、できていないんだ」

その瞬間、成長のための言葉だったはずのものが、
自分を奮い立たせる言葉ではなく、
自分を追い込む刃に変わってしまうのです。

わたしは長い間、これを
「わたしの性格の問題」
「自己肯定感が低いから」
だと思っていました。

でも、最近になってようやく気づきました。

これは欠点でも弱さでもなく、
生き抜くために身につけてきた“仕組み”だったのだと。

簡単に割り切れなかった時、
簡単に忘れられなかった時、
感情を抱えたままでも前に進むために、
わたしは「自分を成長させる」という形で整理してきた。

その積み重ねが、今のわたしをつくっている。

そう思えたとき、
「変えなきゃいけないもの」ではなく、
「役割を終えつつあるもの」として、この思考を見られるようになりました。

この仕組みに気づけたことで、
もう自分を責める必要はありません。
否定する必要もありません。

ただ、
「そうやって、ここまで生き抜いてきたんだな」
と、静かに受け取れるようになった気がしています。


あなたが自分を厳しく評価するとき、その奥には、どんな“守りたいもの”があるのでしょうか?