「流れが止まるときに、見直すべきもの」
最近、少しずつ流れが重くなっている感覚がありました。
やることはたくさんあるのに、なぜか進まない。
手を動かしているのに、前に進んでいる実感が薄い。
振り返ってみると、その原因は「忙しさ」ではなく、
仕組みがあいまいになっていたことでした。
まとまった時間の見通しを立てられていなかったこと。
逆算して予定を入れていたつもりでも、流れとして回せていなかったこと。
その結果、新しい仕入れのタイミングを逃してしまい、ペースが崩れていました。
流れは、気合では回りません。
設計されてこそ、自然に動き出すものなのだと、改めて気づかされました。
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一方で、環境を整えたことで、別の場面は驚くほどスムーズに回り始めました。
人と人の間に入って空気を和らげたり、
動線を整えて仕事が流れるようにしたり、
役割が曖昧になっているところに意識を向けたり。
わたしが無意識にやってきたのは、
「人を動かすこと」ではなく「場を整えること」だったのだと思います。
そして、その力が発揮できる条件はひとつ。
自分に余白があることでした。
余白があると気づける。
余白があると整えられる。
余白がなくなると、流れも一緒に滞っていく。
忙しさよりも、余白こそが循環を生み出していたのです。
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さらに自分を見つめていくと、面白い矛盾にも気づきました。
わたしはおおざっぱなのに、完璧を求めてしまう。
細かく管理するのは苦手なのに、ルーティンは崩したくない。
きっちり収納するより、だいたいの置き場を作って流れで回すほうが楽。
ごちゃついたら、時間のあるときに一気に整えるほうが頭もすっきりする。
これは欠点ではなく、
流れで回すことに長けた自分のスタイルなのだと腑に落ちました。
わたしは「整えてから動く人」ではなく、
動きながら整えていく人なのです。
完成を待つより、まず形にして育てていく。
走りながら仕組みにしていく。
これまでうまくいってきた場面は、すべてこのやり方でした。
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それなのに、ある分野だけ完璧を求めて立ち止まっていたことで、
流れが重くなっていたのだと気づきました。
理想と現実のギャップに苦しくなり、
「まだ足りない」と自分を止めてしまっていたのです。
でも本当は、わたしの強みは未完成のまま進めること。
やりながら磨いていけること。
欠点だと思っていたものは、むしろ推進力でした。
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流れが止まるとき、必要なのは努力ではなく調整です。
気合ではなく設計です。
そして何より、余白です。
余白ができると視界がひらけ、
視界がひらけると流れが戻ってきます。
わたしはこれからも、
完璧を目指して止まるより、
不完全のまま動きながら整えていこうと思います。
それが、わたしにいちばん合った成長のかたちだからです。
もし「止まっている」と感じているなら、
整えるべき場所はどこにありそうですか?
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