ケニアと私。時々・・・ -3ページ目

当時の記録をそのまま掲載します。

 

 

ケニアへ戻れる!そのおかげで沢山沢山パワーが湧いて不思議な空気になってきてます^^
やっと、会えるよ!そんなこと連絡できる環境のない大切な友達。
なんとか連絡できないもんか、、、
彼女の名前はAisha。いつも私に連絡くれるときに使ってた友達の番号に国際電話してみることに!
なんと!二年越しにつながりました。笑
しかも、その友達は電話で何度か話したことしかないのに「SATO!!!!!!!!!!」って覚えてくれてました。泣いちゃうよー。
そういえば、帰国の日もあったことない私に電話くれてたなー。
彼に「私、六月戻るからね!アイシャにつたえといてね」と。

そんな私がどーしても会いたいAishaについて書こうと思います

Aishaは沿岸地域の民族ギリアマ16歳の女の子。おそらく長女で、とてもしっかりした優しい子です。プライドをしっかり持っている。

そんなAishaとの出会い。

私の住んでた家のとなりにはボロっちい掘立小屋がありました。
住み始めた頃、そこは小さなお店で、どーしようもない感じの果物やお菓子が売ってました。
いつの間にかママは店を閉め、小屋だけ残ってたんです。

ちょうど、写真の白い家が私の家。その手前のビニールまみれの小屋ですw



ある朝、聞いたことのある音で起床。「カヤンバ」という名の楽器とにぎやかな歌。
その掘立小屋で女の子達とおじいちゃんがワイワイしてました。

その翌日からその女の子達が掘立小屋でご飯やさんをはじめました。


頭を結ってるのがAisha。他の女の子達も同じ民族。一緒にお店をしてました。

とって付けたような机とイスがとっても味のある、手作りのお店。メニューも木に手書き。
朝仕事に行く前に、皆はそこで朝ごはんたべたり、お昼も近くの工事のおっちゃんらが来たり。
御座をひいてお昼寝したり。にぎやかに繁盛してました。

私も最初は人見知りしながらも徐々に、毎日朝ごはんを買いに行ったり、お昼を食べにいったり
、逆に作りすぎたごはんを持って行ったり、おっちゃんらにご馳走になったり。

そんなお店を切り盛りしていたのがAishaです。ご飯を作るのもうまい、しっかりもの、頑張り屋さん。

スワヒリ語がまったくダメな状態の私にも優しく教えてくれました。

いろんなところに連れていってくれました。

彼女のおかげで、いろんな子達と知り合いました。話せない状況で大勢の前で自己紹介させられたり。

Aishaのおじいちゃんに口説かれ、びっくりしたこともありました。笑

毎朝お店で使う水を汲みに行くのが辛くなって、Aishaはじめ皆が途中から、毎朝、私の家の水道を拝借するようになり、私がタンクを運ぶときに腰をいわしたり、汲みにくるのが早朝すぎて怒ったり。

一緒にマタツに乗って市場にいったり、街にでてブイブイを買ったり、海にいってあそんだり。



私からすれば普通のことが、彼女にとってはキラキラして見えて、本当に楽しそうで可愛かった。

そう、食べることに困ってはいなくても、決して気軽に街にいったりできるわけではありません。
街まで片道50円だとすると、一番安い豆のご飯が2回たべれます。

ノートだって、私たちはリングノートなんて普通ですが、彼女たちからしたら「かっこいい!!私もそのかっこいいノートで勉強したい!」といって、私のノートに英語を書いたりしてました。

裕福でないかどうかは価値観の問題なのでわかりません。

なので、マタツ代も歩いて着く距離(現地人感覚)ならもったいないから乗りません。

Aishaは最後の方になると私の家まで片道1時間近くかけて歩いてきてくれました。

日が落ちてからは危ないので、いつもマタツ代を渡して帰らせました。
多分、歩いて帰って美味しいものつまみ食いしてるんだろうな~^^と思いながら。


Aishaのお料理教室



私のスワヒリ料理はすべてAisha伝授です。タンザニア人も褒めるほどのレシピ^^

一度、炭をつかって家の中で料理をしてしまったときは悲惨なことになりました。。
みんなが青空キッチンですること、家でしちゃダメですよね。。

彼女の家族にも会いに行きました。
とってものどかな田舎って感じの場所で、また私の住む街とは違う空気で魅了されました。

Aishaママも若い!べっぴん!子沢山!さすが。こんな大家族いいですよね~。



妹のようでお姉さんでもあるAisha。会えるのがとーっても楽しみです。
一緒になにをしよう、どこにいこう^^