昨日はジョン•レノンの73回目の誕生日でした。

僕はジョン•レノン•マニアですが、実はベースを弾いている通り、最初はポール•マッカートニーのファンで、ビートルズのオリジナル•アルバムが揃うと、次にポールのソロ•アルバムを集め始めたくらいなんですよ。

でも、「JOHN LENNON/PLASTIC ONO BAND」というアルバムを聴いて、一気にジョンの世界に引き込まれました。
ポールやリンゴ•スターほどのエンターテイナーでもないし、ジョージ•ハリスンほどの哲学者でもないけど、時には世間、政府、宗教団体、政治結社を敵にまわしながらも、自分の思いのままに行動し、発言し、歌うジョンの生き方が物凄くカッコよく思えたんですね。

そうえばLove on the Rocks 2011で共演した8つ歳上のドラマーがこんな事を言われてました。

「セックス•ピストルズなんかのパンクをリアルタイムで体験したけど、やっぱり元祖パンクはジョン•レノンやで」

確かにそうかも知れません。
1963年、イギリス王室招待演奏会出演の打診があった時、マネージャーに「名声を得るため」と説得されて渋々出演したジョンですが、ステージ上で貴族と王室の面々に対してこんな発言をしています。
「安い席の方々は拍手をして下さい。
後の方々は宝石をジャラジャラ鳴らして下さい」
1965年、エリザベス女王からMBE勲章を授与される事が発表された時も、やはり受け取る事をマネージャーに説得されたジョンですが、過去の叙勲者から抗議や返還が殺到すると、「僕たちが勲章を貰う事に抗議してきた人たちは、みんな戦争で人を殺した人たちばかりだ。
でも僕たちは音楽で人を楽しませて勲章を貰うんだ。
だから僕たちの方が貰う資格がある」
こういった発言って、王室のスキャンダルが報道される今のイギリスと違って、階級制度が厳しかった当時のイギリスでは、ショービジネス界から干されてもおかしくないくらい挑発的な発言なんですよね。
そのジョンも後にイギリスがアメリカのベトナム戦争を支援している事に抗議して勲章を返還するんですが。

アメリカ•ツアーの際には、客席が白人ばかりなのに気付き、「チケット販売で人種差別があるならもうステージに上がらない」と、翌日からのコンサートを拒否したり、マネージャーから「アメリカではベトナム戦争について発言するな」と言われていたにも関わらず、ベトナム戦争反対を堂々と表明したり、ビートルズ解散後の1971年にアメリカに移り住んでからは、ジョンの影響力を恐れた当時のニクソン大統領が、なんとしてもジョンを国外退去にしようとし、FBIがジョンを尾行して、電話の盗聴もしていたのは「ロック界のウォーターゲート事件」として有名ですね。
それとレーガンが大統領に就任した時、やはり5年振りに活動を再開したジョンの影響力を恐れて、当時のCIA長官だった(後に大統領となる)ブッシュと共謀して暗殺事件に関わっていたという説は未だに根強いです。

そんなジョンですが、1988年に公開された伝記映画「IMAGINE」の頃からか、1990年に東西冷戦が崩壊した事を受けて、国連本部で没後10年の追悼集会が行われ、ヨーコさんが「HAPPY BIRTHDAY JOHN. 世界はあなたと過ごして少し賢くなりました」とスピーチした頃から、妙に神格化されてしまっているのが嘆かわしいところ。
これはヨーコ夫人の責任も大きいと僕は思ってるんです。
昨今のジョンの「愛と平和の人」みたいなイメージは、ヨーコさんによって作られたものじゃないかと。

確かにジョンは多くの慈善活動、労働者や弱者の権利に関する運動、平和運動に関わっていましたが、それがジョンのすべてではない。
前妻シンシアとの離婚の際のジョンはただの嫌みな男だし、ヨーコさんと一時期別居して、ポールやリンゴ、ハリー•ニルソン、キース•ムーン、デヴィッド•ボウイ、フィル•スペクター、スティービー•ワンダー、ジム•ケルトナー、ジェシ•エド•デイヴィスらと過ごしていた頃のジョンは、クラブで暴れて悪態をつくただの酔っぱらいでしかない。
アルバム「IMAGINE」なんか、今では世界的なモンスターソングとなったタイトル曲と一緒に、
当時まだ仲違いしていたポールを攻撃する、平和とはかけ離れた曲も同居しています。
ヨーコさんへの愛を素直に表明した曲も同居しています。

こんな人間臭くて複雑で繊細な人だから、
僕は未だに彼への興味が尽きないんですよね。

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