ねつ造という誘惑 | 裸のニューヨーク

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ユー・ドント・ノウ・ニューヨーク・ザ・ウェイ・アイ・ドゥ...これは私のアンビバレントでパーソナルなニューヨーク・ストーリー。

「ザ・ニュー・リパブリック」誌の元ライター、スティーブン・グラスの実話に基づいた「ニュースの天才」は物書きの端くれである私には大変怖い映画だった。同誌は格が高いとされ、社内の編集者による数度の原稿チェック、さらには厳しいファクト・チェッカー(校閲)の手が入るというのに、彼の記事はするりするりとそれらをすり抜けていた。彼が書いた50本近い記事のうち半分以上がねつ造だったというのには驚く。が、遂に「ハッカー天国」という記事で外部記者の疑惑を招く。最初は社内ではスティーブンがインターネット上の噂やハッカーの嘘に乗せられたのだろうという同情論が強かったが、彼の嘘が次々に露見して解雇され、頑と
してねつ造と認めなかった彼も法的問題となって認めざるを得なくなる。


物書きの端くれとしては大変に重いテーマで、スティーブンが嘘の上塗りを続ける箇所は大げさでなく、私自身が記事をねつ造して追い詰められるようで苦しくなった。


ライターには事実を伝えるという使命感がある。これがライターの倫理観である。記事には主観が入るから脚色が入る余裕はあるものの、事実は決して曲げてはならないのである。また、同時にライターには受ける、面白い話を提供したいという願望がある。その誘惑に負ける、又は事実をチェックする労苦を惜しんで記事を仕上げるライターがいるのも事実だ。


それを知っているからこそ、名前の知られた日本の雑誌の校閲は実に厳しい。一例を挙げれば、記事中のあるビルが駅の東口にあるのか、西口にあるのか、あなたは東口と書いているが地図を見ると西口に見える、などと聞いてくる。校閲がしつこいのを知っている私は、記事を書く時点で(あれは東だったか、西だったか、確か東だったな)と確信があっても、ダブルチェックの為、駅員に直接聞いたり電話したりする。きちんとチェックして書いている訳だが、案の定うるさく言ってくる。こういう校閲を相手にねつ造記事など書けるはずはないが、アメリカの校閲のどこが悪いのか、思い出すだけでもNYタイムズの若い黒人記者のねつ造事件、雑誌名は失念したが、以前にも学歴詐称と記事のねつ造事件を起こした黒人女性記者がいる。


JFK暗殺報道もした大ベテランのCBSテレビのアンカー、ダン・ラザーが先頃番組を降板した直接の理由はブッシュ大統領の軍歴についてのブログの記述を信じて報道し、それがねつ造とわかって責任を取ったのだ。


日本でも永田議員に「ガセネタ」メールを提供したのはジャーナリストである。ねつ造という、ジャーナリストにあるまじき行為が後を絶たないのは遺憾である。


最近はアーバン・レジェンド(都市伝説)という種類の小話がインターネットで出回っている。都市伝説を検証する、というTV番組まである。インターネット上の情報に加え、既存のメディアでさえ鵜呑みには出来ないのだ。