NYで会ったクソがき | 裸のニューヨーク

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ユー・ドント・ノウ・ニューヨーク・ザ・ウェイ・アイ・ドゥ...これは私のアンビバレントでパーソナルなニューヨーク・ストーリー。

昨年地下鉄マニアの少年にブルックリンの地下鉄駅で遭遇した。


地下鉄操業100周年記念のイベントの一環だとかで、1週間だけ古い地下鉄車両が走るというので地方から
親子で出てきたのだった。


プラットフォームでビデオカメラを構え、去っていく車両を録っていた。録画が終わるのを待って声をかけた。眉間にしわを寄せる癖のある、「おたく」っぽい小学校6年生か中学1年生ぐらいの年頃で、私が連れ去るとでも思ったのか、父親が少し離れた場所から心配そうに寄ってきた。


ニューヨークではこうした時に「私は怪しい者ではない」と相手を安心させる話術が必要で、この作業をいつもわずらわしいと私は思う。日本人同士なら一見して大体は相手のことがわかる。白人同士でもわかるのだろうが、外国人だとわからないという事なのだろう。


私は旅行者で、出来ればその古い地下鉄車両を見てみたいので、マンハッタン内ではどの駅で見られるか聞いたのだと説明すると安心して、息子は電車マニアで、自分はその息子の為に高いビデオを買い与え、今日も今日とておもちゃ屋に行って電車の模型やら本やらをたくさん買わされた、ほら、と言って大きな紙袋の中を見せてくれた。


甘い父親ではないか。


息子はまた線路に寄って電車を録り始めた。その間私と父親は話し続けていたのだが、電車が去ると息子は眉間にしわを寄せて父親をなじり始めた。


「もう!話をするから声が入っちゃったじゃないか!」


父親は肩をすくめていたが、私はカチンと来た。息子の趣味につきあって休日をつぶしてニューヨークまで
ついて来てくれ、おもちゃも買い与えてくれるやさしい父親に対してなんという言い草だろう。それに、話相手は私なのだから息子は暗に私もなじっているのだ。


「今から10年経ったらお父さんの声が入っている方が記憶が蘇ってかえってなつかしいかもしれないじゃない」


と言ったが彼は無言だった。


わがままに育った彼は日頃から父親にこういう言動をし、父親は注意もせず、子供を甘やかしているに違いない。こういう時には「申し訳ないけれど今からまた録画するので少しだけ喋らないでいてくれる?」と丁寧に頼むべきだろうにそういうマナーがまるでなっていない。


ブラット(甘ったれの自己中な子供)なのだ。


日本の子供には圧倒的にブラッが多いが、アメリカ人のクソがきを見たのはこの時が始めてだった。このクソがき、高価なビデオも持ち、おもちゃも潤沢に与えられ、自分の好きなことをやらせてもらっているのに神経質で笑顔一つなく、ちっとも幸せそうではなかった。


金で幸せは買えないという事だ。