おはこんばんちわ!にゃたろうです!

 

いよいよお待ちかねの「リフレッシュ休暇」消化の3日間がやってきました。

 

1月入社なので、4日あると聞いたあたくしは、真光さんのご奉仕もふっ飛ばし、違う企画を立てることにしました。

 

・・・そう、旅です。

 

今までは、岐阜県に行くことが旅立ったのですが、東日本大震災から10年。

 

あたしは、その後の東北に行くことはありませんでした。

 

中学校のときに岩手県の「田野畑村」に行って、体験学習をし、結婚してからは福島県の「飯坂温泉」と当時の旦那の実家やハワイアンリゾートに行ったくらいで、東日本大震災後の東北を全くというほど知らないし、現実はテレビで見ただけでした。

 

10年前、あたしは精神科病院の療養生活から脱出されて、家にいました。

 

ゴォ〜〜〜〜という音に「今日は風が強いのか?」と思った矢先に、7階建てのマンションの6階の部屋が揺れだしました。

 

最初は「あ!地震」と思っていたのですが、ゆらゆらと長く続く揺れにだんだん怖くなってきて、

夜勤明けで寝ていた当時の旦那に「ねぇ〜!地震だよ〜〜」と大きな声で話したのでした。

 

揺れが収まり、急いでNHKを付けるともう、津波が始まっていました。

 

テレビに向かって「逃げろ!」と言っても仕方ないのですが、ただ、夫婦で逃げろ逃げろしか言えなかった。

 

それから福島の原発事故があり、「やばい!日本!」と思ったのを覚えています。

 

それからスーパーへの「買い占め」やガソリンを求める「渋滞」。

 

次第に当時10歳だった息子たちにも「東日本大震災」の恐ろしさを知ることになります。

 

一斉下校になり、集団下校。

 

あたしはツイッターで「あきる野市を通過しているドライバーさん!近隣の小学生が一斉下校しているので交通安全でお願いします」と毎日書き続けました。

 

そのときにふと、思い出したのが、中学校のときに修学旅行で行った「田野畑村」のことでした。

 

岩手県の沿岸部にある田野畑村は、テレビでもラジオでも放送されなくて、どうなっているのかすぐに気が付きました。

あたしは、当時宿泊先だった「ホテル羅賀荘」のホームページを探し、ツイッターをやっていることがわかりました。

 

そして、ダイレクトメールを使って「修学旅行でお世話になった中学校の卒業生です。田野畑村は大丈夫ですか?」と送ると、

すぐに返信が来て、「みんな無事です。上階にみんなで逃げました」と返信がきました。

そうするとある新聞社がそれを見つけたのか???

翌日の被害状況に田野畑村の状況を載せてくれるようになりました。

 

みんな無事なんだとほっとしたけど、そのあとの10年間、今の田野畑村のことを考えるとまた行っていろいろ話を聞きたいと思ったのでした。

 

残念ながら3日間で田野畑村へは行くことはできないのですが、せめて東北の方へ行ってみたいと思い、

 

当初、岐阜県の予定を「ずんだ餅食べたくないですか?」とLINEしました。

 

福島県のことならわかるし、福島県でも東日本大震災の今が見れるからいいんじゃない?と話してくれたので、

 

じゃ、福島県の小名浜港へ行ってみようと言う話になりました。

 

明日の夜から出発して、20日の夜かなぁ・・・に帰ってこようかと思っています。

 

「Fukushima50」もケーブルテレビで見たけど、かなりリアルに描いていたし、

 

今の福島県の様子を見るだけでも10年間の歴史がわかるから十分だと思いました。

 

このお話は、また続編として書きたいと思います。

 

それでは、いってきま〜〜〜す!!