Rock 'n' Roll Is Here To Stay(第4話) | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

(第4話)Young Bloods
 俺がそのバンドの存在を知ったのは、ケンジの入院騒動の翌週、東京の空が南太平洋の海のように蒼く澄み渡り、10万ルクスを超える強烈な陽光が殺人光線の如く照り付ける真夏日の午後のことであった。その日、俺は、ケンジの病室でいつものように他愛も無いロック談義をし、帰ろうと薄暗い廊下を歩きだしたところでマキに呼び止められた。


「サトシ、ちょっとだけ時間ある?」
「何だよ、藪から棒に。今、ケンジと話し終わったところじゃないか。」
「お兄ちゃんのいないところで話したいことがあるの。」
 彼女の神妙な顔つきに俺は少し戸惑った。
「いいけど…、悪い話じゃないよな。」
 胸がざわついた。こういう時、悪い予感が次から次へと頭の中に浮かび、止まらなくなるのが俺の悪い癖だ。
「1階の喫茶店で、会ってほしい人がいるの。」
 そう言いながら、マキはそそくさとエレベーターに乗り込む。予期していなかった展開に、俺は何も言うことができず、ただ彼女に付いていくほかなかった。

 喫茶店は空いていたため、待ち人はすぐに分かった。奥の席に俺と同い年位の若い男が座っていた。短髪を綺麗に整え、白い半袖の開襟シャツを着た彼は、ケンジに似て鋭い一重の目をしていたが、雰囲気は遥かに上品で、どこか生真面目な学級委員のようにも見えた。


「こちら、タカヤマレイくん。雑誌『ヤング・ブラッズ』の編集長よ。」
 マキが紹介すると、彼はすくっと立ち上がり、会釈をする。
「タカヤマです。皆はレイって呼んでるけど、苗字でも名前でもどっちでも構わないので、呼び方はご自由に。」
 よく通る明るく快活な声で自己紹介する彼に気圧された俺は、ボソボソと「どうも、はじめまして」と言うことしかできず、全くサマにならない。
「レイくんはね、前からSNAPのライブを観に来てくれてたの。それで、お兄ちゃんがああいう状態でしょ。しばらくバンドも休止になるから、ね。」
 ここで、マキは言葉を止め、「あ、注文!」と叫び、クリームソーダとコーラを頼んだ。マキと一緒の時、俺はいつもコーラばかり飲まされる羽目になる。


「マキちゃんありがとう。ここからは、僕が話すよ。」
 そう言いながら、レイは、傍に置いてあったショルダーバッグから、1冊の雑誌を取り出し、テーブルの上に置いた。真っ白い表紙に赤いデザイン文字で「ヤング・ブラッズ創刊準備号」と書かれている。


「これは、春に発行したプロトタイプなんだけど、僕は今、10代による10代のための新しい雑誌を創っているんだ。」
「雑誌って、同人誌か自費出版?」
「いや、12月にリトル・マガジン社から刊行することが決まっている。」
 驚いた。リトル・マガジン社といえば、超大手の出版社ではないか。しかも編集長だって? この男は一体何者なのだ。
「レイくんは、サトシやお兄ちゃんと同じ学年なんだけど、早生まれだから来年の3月まで10代なんだよ。」
 マキがクリームソーダをストローでかき回しながら、とっておきの秘密を教えてあげると言わんばかりの得意げな口調で茶々を入れる。


「この雑誌は、僕たち10代の“広場”にしたいと思っているんだ。いや、本当のことを言うと実年齢はあまり関係なくてね。僕の言う10代は、イノセントであること、失うものが何も無いこと、大きなものに抗い続けること、そういう人であれば、皆10代であり、“同世代”だと思うんだ。そんな“同世代”が、自分の詩や歌を披露したり、小説を発表したり、自由闊達に議論をしたり、理不尽なことを強制してくるオトナたちに抗議したりすることができる、そういう解放区のような “広場”を創りたいと思っている。」


「でも、リトル・マガジン社といったら、体制ど真ん中の大出版社じゃないか。そんな自由なミニコミみたいなことができるとはとても信じられないな。」
「僕は、あそこの社長と“契約”を交わしている。オトナには一切口出しさせない。全てを10代が企画し、編集権限を持つ雑誌。これが刊行の絶対条件となっている。」


 俺は言葉を失った。こいつは希代の山師なのだろうか。言っていることが本当なら、俺と同い年で大出版社の社長を手玉にとって雑誌をモノにするこの男の胆力は想像を絶するものがある。


「マキちゃんには、先月から編集部に入ってもらっているんだ。僕が君達のバンドを観に行っていた縁でね。」
「レイ君を入れて7人の“少数精鋭”のチームなの。全員10代で、高校生が中心だけど、働いてる人もいて。部活動みたいですごく楽しいの。」

「で、ここからが本題になるんだけど、この雑誌には、精神的支柱とも言うべきバンドがいるんだ。『ワイルド・ハーツ』っていう5人組のロックンロール・バンドでね。そこのベースが急に脱退することになって、とても困っている。予定していた刊行イベントの日程も迫っているし。」
 レイは、俺の顔をじっと見ながら、こう切り出した。
「バンド、手伝ってもらえないかな。SNAPが休止している間だけで構わない。君がベースを弾いてくれると本当に助かるんだ。」


「どうして俺なんだ。ベーシストなんて他にいくらでもいるだろう?」
 俺は正直不愉快だった。これだから音楽の素人は困るとも思った。どういう音楽性のバンドかも知らされぬまま、白紙委任で加入できるわけがないだろう。

「それはさ。君がブルース・スプリングスティーンのことを理解しているからだよ。」
 マキがどうせ余計な入れ知恵をしたに違いない。俺はますます不愉快になった。
「俺がスプリングスティーンを好きなのは『ザ・リバー』までだ。それ以降の『ネブラスカ』も『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』も俺には理解できない。はっきり言うが、今の彼は大嫌いだ。」


「『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』を理解できないって?」
 レイが信じられないという顔をした。
「アルバムは聴いたのか? B面は最高だぞ。『No Surrender』を聴いた上で、そんなことを言っているのか?」


 畳み掛けるようなレイの言葉に俺はたじろいだ。実は「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は、彼のマッチョなイメージを毛嫌いして、アルバムを聴く気すら失くしていたのだ。

 

「聴いてないよ。とにかく今のスプリングスティーンは好きじゃないんだ。」
「話にならないな。つまらない先入観を捨てて聴いてみてくれ。彼は、『ザ・リバー』の後も何一つ変わっていないよ。」
 レイは、明らかに失望した表情をしていたが、それでもまだ俺のことを諦めていなかった。
「これがバンドのテープだ。そして、これが楽譜。今週土曜日に新宿のスタジオ・キーでセッションするから、とりあえず来てくれないかな。その上で入るかどうか判断してくれ。頼むよ。」
 俺は喫茶店の天井を見上げ、回答を留保した。空になったクリームソーダのグラスを両手で握りしめて俺の顔をじっと見ていたマキが口を開いた。
「サトシ、お願いだから、このこと、お兄ちゃんには内緒にしてね。気が狂ったように嫉妬するから。」
 続けてこう言った。
「私は、サトシに『ワイルド・ハーツ』に入ってほしいな。大阪への帰省、延期できない?」

 その夜、俺は、代田橋のアパートで「ワイルド・ハーツ」のテープを聴いた。連日の真夏日で限界まで灼熱の太陽に痛めつけられたトタン屋根は夜が更けても凄まじい熱気を放ち続け、俺の部屋はさながらサウナ風呂の如く息が詰まる蒸し暑さであった。耐えきれず外に出た俺は、ウォークマンでテープを聴きながらあてどもなく夜道を歩いた。ヘッドホンから流れる軽快なキーボードとブルージーなギターの旋律、そしてハスキーな歌声が心地よい涼風となって俺の耳孔をふるわせた。そのバンドの演奏とヴォーカルは控え目に言ってもセミプロ級の巧さであった。俺などが入って足手まといにならないだろかと正直不安になる程、非の打ちどころのない完璧なパフォーマンスであった。ただ一点、歌詞を除けば――。

 愛、自由、平和、戦争、核、差別……、それらの陳腐な言葉の塊は、俺の羞恥心を直撃し、とてつもなくワイセツなものに関わっているようないたたまれない気持ちに襲われた。

 これはだめだな、やはり断ろう――。

 そう決めた俺は少しだけ気持ちが軽くなり、甲州街道のガードレールに腰をかけて、煙草を吸いながら、ぼんやりと空を見上げた。黒い夜空に大きな白い雲がゆっくりと流れていた。その時、俺は、大きな翼を付けた白馬が夜空を駆けていく姿を確かに見たような気がした。それが、これから始まる騒動の予兆だったとは、まだ知る由もなかった。(つづく)

 

Illustration by Seachan
※この物語はフィクションです。実在する人物・地名・団体とは一切関係ありません。