Country / Keith Jarrett | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

$AFTER THE GOLD RUSH-my song/keith jarrettカントリー(Country)。この単語が発する、どこかあたたかな響きは何だろう。同じ「くに」の概念でも、ステート(State)というと、リジッドで冷たい響きを持ってしまう。それは、統治機構としての「国家」。一方、カントリーは、祖国であり、故郷。その土地に生きる人の顔や風景が見えてくるのは、間違いなくカントリーの方だ。

3月の大地震の後、夜、度々電気が消えた。まるで戦時中の灯火管制のような「計画停電」。ぼくらは、蝋燭の灯りで食事を取り、ラジオを聴き、そして、iPodを小さなスピーカーに繋いで音楽を聴いた。キース・ジャレット・クァルテットのアルバム「マイ・ソング」を繰り返し聴いた。郷愁に満ちたメロディでスケッチされた小曲「カントリー」が心に沁みた。あれは、不思議なひとときだった。蝋燭の灯の中、催眠術にでもかけられたかのように、捻くれた心の防壁は開け放たれ、ごく自然に、隣人や故郷、さらには“祖国”を愛する気持ちが湧き上がってきた。あの時、ぼくは、無意識のうちに「愛国者(Patriot)」になっていた。

「愛国者(Patriot)」は、パトリア、すなわち「父祖の地」を愛する。断じて、ステートたる「国家」ではない。内田樹氏の言葉を借りるなら、「自分が今いる場所を愛し、自分が現に帰属している集団のパフォーマンスを高めることを配慮し、今自分に与えられている職務を粛々と果たすことをおのれに課す」、それがパトリオットだ。

キース・ジャレットは、ハンガリーのジプシーの血を引く。ジプシーは、帰るべき故郷を持たない「流浪の民」である。キースにとっての「カントリー」は、生まれ育ったアメリカなのか、それとも、ここではない「何処か」なのか。異郷の地、北欧で奏でられた、叙情的で美しいピアノソロに問いかける。一つだけ確かなことがある。それは、この日本にも、故郷を追われ、ジプシーとして生きることを強いられている人々が多数存在するということ。ぼくは、「愛国者(Patriot)」として、それを強いている「国家(State)」を容認することができないし、彼ら、彼女たちと共に生きることを誓う。