She said NO! | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

$AFTER THE GOLD RUSH-よしだよしこ「She said NO !」日比谷公園から外堀通りを歩き、銀座の繁華街へ、そして東京駅を通り越し、常盤橋公園へ。それが昨日のデモコース。日比谷野外音楽で開催された「チェンジ!日米関係 普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない 1・30全国集会」。集会後、数千人の参加者と都心を歩いた。

街を歩くのが好きだ。同じ思いを持った人となら、なお気分は高揚する。だから、語弊があるかもしれないが、ぼくは歩きながら、ずっと、高ぶった気持ちを抑えることができなかった。

「デモなんて恰好悪いよ」と言う人もいるだろう。そのとおり。プラカードを持って歩くなんて、ちっとも恰好いいものじゃありません。それどころか、公安には写真を撮られるし、もしかすると、歩道側には、職場の仲間たち、上司や部下の目があるかもしれない。つまり、ぼくのようなしがない勤め人にとって、デモは、かなりリスキーな行為でもあるのだ。

それでも、ぼくがデモに行くのは、高邁な使命感とか、純粋な正義感とか、そんな立派なものでは決してなく、自分の内側にある何かを確認したいからだと思う。素顔を晒し、メッセージを胸に掲げて街を歩く。その時、いやがおうでも自分の書いた言葉が、自分自身に跳ね返ってくる。お前は本気か? 偽善ではないのか? これはかなりしんどい。でも、そこで初めて分かることもある。悟る、というと、修行のようだが、その感覚に近いような気もする。

今年に入ってから、あるミュージシャンの言葉にいたく感銘を受けた。しごく共感した。それは、中川五郎氏の1月22日の日記に書かれていた次のような言葉だった。

1960年代後半のあの当時も、反差別やベトナム反戦、それにアメリカの黒人差別のことなど、「ひとごと」「よそごと」を歌ってどうするんだということをよく言われた。確かに16や17歳で歌っていたぼくの歌は、頭でっかちで、中身も薄っぺらくて、夢みたいなことを言っているだけのものだったかもしれない。
最初は権力を攻撃したり、鋭いメッセージを歌ったり、皮肉たっぷりの歌を歌っていたまわりのフォーク・シンガーたちは、みんな「ひとごと」や「よそごと」を歌うのでなく、「自分のこと」、「自分だけのこと」を歌うようになり、そうした歌がとても持て囃されるようになっていった。(中略)
しかしぼくは40数年後の今にして改めて思う。「ひとごと」や「よそごと」を「自分のこと」にできなくて、何が愛だ、何がしあわせだ、何が優しさだ、何が思いやりだ。そして誰も歌わなくなってしまったとしても、ぼくだけは「ひとごと」や「よそごと」とされることを「自分のこと」として歌い続けたいと、強く思っている。

  (「The World According to Goronyan. ナカガワゴロウの世界」

これを読んで、ぼくは、霧がすっと晴れたような気分になった。勇気が湧いてきた。つまりは想像力の問題なのだ。もし、自分の町に基地がやってきても、それでも、「ひとごと」や「よそごと」でいられるだろうか? ぼくらは、いつしか「ひとごと」や「よそごと」を「自分のこと」にする想像力を失ってしまったから、性根の美しい人たちのことを当てずっぽうに「偽善者」呼ばわりしてしまうのではないか?

そしてもう一つ、偽善を嘲笑って何もしない連中より、一歩を踏み出して行動している「偽善者」の方がよっぽどいい。「何もしないことの罪」「沈黙することの罪」が何より重いということは、シンガーソングライターのよしだよしこさんが教えてくれた。――彼女は、「公民権運動の母」ローザ・パークスから、そのことを教わった、と歌っている。

  1955年12月1日 冷たい雨降る夜
  仕事帰りの人々を乗せる 一台のバス
  白い肌は 前のドア 
  黒い肌は 同じコインを払って後ろのドア

  She said NO!
  沈黙を破る勇気の一言 JUST NO!

  私の国はちいさな島国で62年前
  「絶対に戦争をしない」という素晴らしい誓いをした国です
  でもうつむく人が多い国です 知らん顔して歩く人たちが 多い国なんです
  あ~そんなとき Sister ROSA バスの後ろの席で
  貴女の勇気に思いを馳せます
  (よしだよしこ「She said NO!」)

決意に満ちた歌だと思った。そして、その決意は、あのまなじり決して、というやつではなく、とてもさりげない「ふつうの言葉」で表明されているから、ぼくは却ってより鋭いナイフを突き付けられたような凄みを感じてしまった。21世紀に生まれた素晴らしいメッセージソング。一人でも多くの人に聴かれてほしいと思う。