The Kids Are Alright | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

My Generation 先の引越しでしみじみ感じたのは、ぼくは大量のごみに囲まれて生活していたということ。まぁ何をもってごみと言うかは、人それぞれなのだろうけれど、今の自分にとって必要のないものをごみと定義するなら、これまでのぼくの生活は、ごみ溜めの中で溺れているようなものだった。黴臭いロシア革命の文献集、John Smedleyのポロシャツ、絃の錆付いたギター。全部捨てた。

 

ただ、ごみか否か、判断に迷ったものもある。Sex Pistolsの「Never Mind The Bollocks」などは、今のぼくにとってはごみ以外の何物でもないが、うーん、と30秒程悩んだあげく、新居行きの箱に詰めることにした。写真も悩ましかった。選別するのも面倒なので、とりあえず何も考えずに一山捨てた。そんなこんなでようやく取捨選択を終え、生き残った古い品物たちは、玉石混淆状態で新しい部屋に収まった。

 

机の上には、そういう経緯で残された1枚の写真がある。80年代半ば、アパートの部屋で友人たちと撮った写真。背後の壁には、The Whoのポスター-65年頃の演奏シーン-、そして、ディスプレイされたLPジャケット。4人の若者がドラム缶の傍らでこちらを見上げている。確か、その横には、スティーヴ・マリオットとロニー・レインらが壁の落書きを背に笑みを浮かべている、そんなポートレイトが飾られていたはずだ。

 

あの頃のぼくらにとって、The Whoの60年代のアルバム -特に「My Generation」-は、ひときわ特別な存在だった。80年代、彼らの初期のアルバムは、輸入盤でしか入手できなかった。「A Quick One 」も「The Who Sell Out」も。
ずっしりと重たい輸入盤のファクトリーシールを破り、ビニールの匂いのする盤に針を置くとき、軽く体が震えた。新しいライフスタイルを獲得しようと恐る恐る歩き出した少年たちにとって、「My Generation」を聴くことは、すべての始まりであり、いわば洗礼の儀式のようなものだった。

 

ゴツゴツと音の塊となって直撃するモノラルサウンドに圧倒された。キース・ムーンの狂ったように暴れまくるドラムとジョン・エントウイッスルの重くうねるベースが渾然一体となり、そこにピートの歯切れのよいコード・カッティングが加わると、騒擾感とでもいうのだろうか、何とも表現しがたい暴力的な気分になったものだ。それは、ビートルズとも、ストーンズとも違う感覚。多分、パープル・ハーツを常用して、いつも自分のスイッチをONにしていたMods特有の破壊衝動が、彼らに伝染し、このようなサウンドを創り出したのではなかろうか。


モノラル版の「My Generation」は、思いがけず、日本オリジナルLP仕様の紙ジャケCDとなって、ぼくの部屋に戻ってきた。団子状になった音の塊が懐かしい。やはり、The Whoはこうでなくちゃいけない。

 

マイ・ジェネレイション(紙ジャケット仕様)/ザ・フー