極私的音楽ヨタ話77-06の旅 その4 | AFTER THE GOLD RUSH

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とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

80年代はロックにとって不毛な時代だった、と評する方が多いようです。
ボク自身も、80年代半ば以降は、まるで金太郎飴の如く同じ表情に漂白された商業ロックに興味を失い、同時代の音楽はほとんど聴かなくなりました。だから、この説にはほぼ同意なのですが、ただ、80年代全ラジオ・スターの悲劇 体がロック停滞期であったという主張には与しません。80年代初頭に、優れた曲がヒットチャートに続々と登場し、また、アンダーグラウンドでも新しい試みが生まれ、ボクを大いに興奮させてくれたことを、当時の空気感と共に覚えているからです。
特に1980年という年は、ロック、ポップスにおいて、ボクに多大な影響を与えてくれた曲に沢山出会った年でした。ここでそのすべてを語ることは、冗長になりすぎる嫌いがあるので、大いにはしょりつつ、例のごとく“俗なもの”、つまり流行歌を中心に、書きたいと思うのです。

 

1980年の幕開けを告げたのは、バグルスの「ラジオ・スターの悲劇 」のテクノポップ調の風変わりなサウンドでした。この曲は正確には前年の79年に発表されているのですが、ヒットチャートにのぼりつめたのは80年に入ってからだと記憶していますし、実際、この年の正月以降、ラジオなどでパワープレイされていたことを覚えています。トレヴァー・ホーンとジェフリー・ダウンズは、その後のボクにとって、あまり語りたくない存在になるのですが、この曲は素直に好きでした。色眼鏡をかけてロックを聴く以前の方が、ピュアに音楽を楽しめたということでしょうか。


そして、このMTV時代の到来を予見する優れてクリティカルなメッセージを持った曲が、2006年の現代においては、遂には「Net Killed The Video Star」という状況の変化により、一方で陳腐化し、また一方で普遍的なメッセージに転化しうるという非常に興味深い立居地を見せているように思うのです。

 

また、この年は悲しむべき事件で明けた年でもありました。1月、ウイングス日本公演のため、ポール・マッカカミング・アップ ートニーが成田空港に降り立ったその直後、大麻不法所持で逮捕されてしまうのです。その後は、お決まりの取り調べがあり、結果、強制送還、ファン待望のウイングス公演は“永遠の幻”となってしまいます。


ボクはこの頃、圧倒的にポール派でした。当時、ジョン・レノンは、音楽界から半ばリタイアしている状態で、ある意味、“過去の人”だったのです。しかし、5月に発表された「McCartney II 」収録の「Frozen Jap」が、一転して、ボクをアンチ・ポール派に変え、そしてあの12月の忌まわしい事件を契機に、“ジョンこそすべて”になるわけです。ああ、なんと、単純な思考回路を持ったファンだったことか!

 

竹内まりやさんの「不思議なピーチパイ」が大ヒットしたのは、この年の春でした。まりやさんのことは、前年のCMソング(「ドリーム・オブ・ユ  不思議なピーチパイ ー」)や「セプテンバー」で既に知っていましたが、この曲がボクにとって(世間的にも)決定打でした。
今聴くと、「セプテンバー」の方が楽曲としてのクオリティは高いように思えるのですが、あの当時は、「ピーチパイ」に、より“ポップスの魔法”を感じたのです。魔法は人を盲目にします。初めて聴いた時、「この曲は絶対ヒットする!」と確信し、生意気にも、予想屋面して周囲に触れ回っていたのも、この魔法のせいだったのでしょうか。冗談はさておき、ボクは、彼女の伸びやかな声と、ポップなメロディに心底惚れこんでしまったのです。
そして、この曲により、ボクは一人の重要なミュージシャンの名前を知ることになります。それが加藤和彦さんでした。(続く)