仕事から帰宅後、友達とウォッチパーティでもするか~と観ました。

 

な、なんだったんだこれは(笑)

 

正直何を観たのかよく分かっていませんww

 

「スイス・アーミー」とは日本で言えば十徳ナイフみたいな、便利なやつって意味らしいです。

 

直訳すれば「十徳ナイフ男」ってことでしょうか。いやもっと良いタイトルあっただろうよ…

 

ネタバレなしで観たい!という方におススメポイントをお伝えしますと、

 

 

  • ツマラナイと感じるシーンが一切ない
  • 最初から最後までノンストップで走り切るぜ!
  • 疲れたな~~なんか映画でも観るかな~~ぐらいのテンションが最適
  • 酒は必須。もう一度言う、酒は必須。ほろ酔い気分がベスト
  • 考えるな、感じろ。

 

こんな感じです!(笑)

 

ではここからはネタバレありでの感想を書いてみます。

 

なお、話の性質上「男女」という区別を使いますので、フェミニズム・LGBT的にこの二項対立が受け入れられない方は読まない方がいいです。

 

 

「スイス・アーミー・マン」ネタバレ感想

 

本当に、何だったんだこれは(笑)

 

正直どのネタバレ読んだとしても、この映画の内容を伝えきれる気がしないので、ネタバレ注意する必要があるのかないのかって感じです…哲学すぎるんよ…

 

難しい話では全くないです。むしろ、豆腐ぐらい柔らかい精神でぬるっと観る必要があります。

 

こんなに、深く考えちゃいけないタイプの映画は久しぶりだわ(笑)

 

主人公に共感できる人いるんだろうか…いないでくれ…頼む…

 

ほんのちょっとだけ整理してみます。する必要あるんかぐらいの内容だけれどw

 

 

1.男子の思春期は樹海なのよ問題

まずここから切り込みたい(笑)

 

俺なんか醜くて女の子に相手にされっこない、バスでみかけるあの子を盗撮して何年もスマホの待ち受けにし、彼女にスマートに話しかける俺を想像する日々…

 

これは私が成人女性になってから知った事実なのですが、

 

どうやら、男子は女が怖くて仕方がないらしいのです。

 

そんなことないだろ、体格だって男のほうが大きいんだしと思いがちですが、そういうことではない。

 

思い出してくださいスクールカーストを。

 

女子学生のあなたは、イケメン以外の男子生徒を「恋愛範疇外」として、なんならブサイク男子をポケモンくらいのゾーンに追いやってはいなかったでしょうか(笑)

 

これを女子ひとりだけがやってるならまだしも、この雰囲気が「集合的無意識」として存在しているから厄介です。つまり、なんとなく女子は「イケメン以外の男子」をそういう風に扱いがちです。

 

この集合的無意識は、女子本人がイケてるモテ系であるか、陰キャオタクであるかという自己認識を棚に上げて共通で持っています。自分の値札は背中に貼ってあるから見えないのさ。悲しいね。

 

で、自分が「イケメン以外の男子」であるとしっかり認識している男子(この辺は中高で否応なく自覚させられます)は、どんどん女子に話しかけるのが難しくなり、しかし発達する性欲との葛藤がすさまじく…モテたい…でも俺みたいなブサメンが話しかけるなんてキモイと思われる…

 

となるわけです。スイス・アーミー・マンの映画はだいたいそういう根底があります。

 

このあたりの根深い断絶は、山田玲司のヤングサンデー(Youtube)あたりを見れば理解できます。

 

 

2.俺を救い出してくれバズ・ライトイヤー

そんな思春期と自我と性欲の樹海(孤島)に迷い込んだ俺。

 

頼むよ俺を救い出してくれバズ・ライトイヤー!

 

ということで現れたスイス・アーミー・マンなわけです。

とんだバズ・ライトイヤーだけどな!オナラで宇宙の彼方へとさあ行こう!ですからね。

 

自力では抜け出せないのかな…抜け出せないんでしょうね…

 

自分が成人して社会的に地位ができたりお金があるようになって、おや?30代ではイケメンより社会的な堅実性が重視されるらしいぞと、むしろ、顔だけで乗り切ってきたタイプの稼げずコミュニケーションができないイケメンは地雷扱いらしいぞと(何故か想起される芸能人がいますね)、環境の変化によって自己肯定感が変化する感じなんでしょう。

 

どれもダメな僕はどうすればいいか?知らん。磨ける部分は自分で磨きましょう。

 

3.それでもアスカに「気色悪ぃ」と言われる

現実世界(いやずっと現実でしたけど)に戻ってきた主人公は、
自分の「故郷」(ホーム)で人前でオナラすることに成功します。なんの話だ本当に。
 
そして僕らのスイス・アーミー・マンとさよならするシーンで、男性陣がなぜか全員「さようなら!」という若干感動気味であるのに対して、女性だけが「なんなのよ」的なセリフを言います。
 
この辺はヱヴァンゲリヲンの、旧版かな? アダムとイブのように生き残ったシンジとアスカ、シンジが「これから僕ら定められた夫婦だね」的な態度をとってくるのに対し、アスカが「気色悪ぃ」と切り捨てたシーンを思い出しました。
 
男子の空想上の葛藤なんて、女側は欠片も興味がありません。
理解できないし、する意味もないし、価値も感じないんですね(笑)
 
これはお互いにそういうもんです。僕たちはわかりあえないんだ絶対に。
 
 
スイス・アーミー・マンはこういう話です。
このあたりのファンタジーを大変馬鹿らしく、ちょっと映える感じで見せてくれます。
 
観てみようかなと思った方はぜひ。